2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その1

萩往還」は国内のウルトラランナーにとって特別な意味・響きを持った言葉であり、いろいろな意味で間違いなく国内最高峰のウルトラ大会です。歴史を紐解くと平成元年に70kmと35km大会からスタート、そのときの参加ランナー総数は331人。今回第28回は250km、140km、70km、35km歩け歩けで総勢2,132名がエントリー。日本全国47都道府県でエントリーが無いのは岩手県沖縄県のみ、と参加者が実に広範囲に渡っています。最長250kmを48時間以内に完踏(完走ではない)というとてつもない距離と時間の設定もすごいのですが、そのエントリーを年代別に見ると、20歳代:1名、30歳代:33名、40歳代:167名、50歳代:190名、60歳代:118名、そして70歳代:9名。なんという支持層の広さ、というか平均年齢層の高さ!(250kmのエントリー代が3万8千円と高額なこともありますが)。一度走ってしまったら病みつきになってしまう、リピーターによる支持が絶大で歳を重ねても参加し続けたい、それだけ素晴らしい大会であるということが分かります。

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私が初ウルトラを走ったのが2005年の富士五湖UM、それ以来ウルトラマラソンにハマっていろいろな大会に参加しました。そこで知らされたのが「萩往還」という別格の大会の存在。とにかくとてつもない大会で、素人ランナーなど到底お呼びでなく、真のウルトラマン達だけが走れる大会、そんなイメージを刷り込まれました。どこかの大会で白地Tシャツの背面首元にスカイブルーのゴシック体で「萩往還」と書いてあるのを目にすると、思わずそのランナーに向かって頭をたれるか手を合わせて拝むか、「いつか自分もあのTシャツを着てみたい」という夢を抱き続けてきました。

そのチャンスがやってきたのが2007年、まず140kmにエントリー。完踏するために18時間走の大会に出て準備した甲斐もあり、なんとか無事完踏。ただし、よほどきつかったのかいつも備忘録のために書く完走レポートが書けていない(おそらく唯一の大会)。夜を徹して走った、あの真っ暗闇の往還道がきつ過ぎて朦朧としてしまい、ほとんど記憶が残っていなかったのかもしれません。あまりの疲労に完走後の晩の飲み屋で寝落ちした記憶があります。

その後、引っ越しやら子育て(いまだ真っ最中ですが)やらで忙しくなり、海外転勤も決まって萩往還のことは忘れかけていました。しかし2014年に帰国してから大阪のラン仲間が萩往還に出走することを聞いて250kmへの熱い想いが再燃。15年の8月に無事申し込みを済ませ、佐渡島206kmを越える自身最長距離への挑戦権をとうとう獲得しました。 

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だいぶ前置きが長くなりました。

さて、2016/5/2(月)レース当日の早朝に大阪から山口に移動。新山口からの電車内で萩往還ランナーの皆さんとおしゃべりで盛り上がる。同じく大阪から来たTさんに駅から受付場所である瑠璃光寺(松籟亭)まで同行させて頂き、無事受付完了したのが正午過ぎ。もらった「うどん券」を使って昼食を済ませ「萩往還マラニックセミナー」会場である山口県教育会館に徒歩で向かう。午後1時からのパネルディスカッションは参加自由で、過去の完踏者5名のおもしろ真面目な基調講演を伺う。人選が絶妙でためになる話あり、また爆笑ネタもあり、かなり笑わせてもらいました。印象に残った言葉が2つ。「不調こそ、我が実力」(桜井章一)、「痛みを無視しろ」(ランボー)。特に後者は普段から自分が言い続けていることなので共感出来たのですが、今回の大会で痛みを無視したらどうなるかを激しく思い知り、今は少し考えが変わっています。

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セミナー後、午後3時からは出走者参加必須の説明会あり会場は満員。ここで命の次に大事な「チェックシート」がやっと配布される。大会会長さんから細かなルール説明があり、質疑応答やらあって説明会終了が4時過ぎ。「午後5時にはここを閉鎖します」と言われ、Tさんと2人で慌てて出走準備をする。ちょっと時間がなさ過ぎる。だから皆さん説明会に集まったときにはすでに出走準備を終えた格好をしていたのか。着替えて、ゴール地点に預ける荷物、旧油谷中と宗頭に送る荷物、背負う荷物の仕分けでもうバタバタ。いつの間にか携帯電話が見当たらない。コース地図をDLしてあるのであれがないと心細いし、写真も撮れないし、途中経過も発信出来ない。どこかで落としたのか、廊下やトイレを走り回って見渡し、係員さんに聞いてみたらマイ携帯電話が届いていた。あー、危なかった。走る前から焦った。

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急いで移動して預ける荷物は洞春寺、搬送荷物は長州苑前へ。そこで同じ会社のH野さんと出会う。彼は3日スタートの140kmに参加。午後5時半過ぎにスタートの列に並んでから前後に点滅ライトと反射ネームプレートを付ける。これは毎年配布されるもので、何個もくっつけている=複数回出走ランナーもいる。スタートは午後6時、あー、気持ちが盛り上がってきた、ワクワクしてきた~!と言ってる間にウェーブスタート開始、一人一人ゼッケン番号の確認がある。4番目のグループで瑠璃光寺を出発したのが6時13分くらい。沿道の皆さんが大声援で送り出してくれるのが嬉しい。

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まず目指すはCP1:豊田湖畔公園 58.7km。250kmでチェックポイントは計14ヶ所もあるのに最初のCPまで58.7kmもあるなんて。「もっと前にチェックシートにパンチ押したい」とつぶやくと、同行のFさんから「それは無理やね」とたしなめられる。コースは単調な川沿いの道で右側が線路。あたりが暗くなってきて上郷エイド到着が19:35、飲み物とパンくらいしかない簡易エイド。駅のトイレは長蛇の列で諦めた。そこから右折して少し登るが全然走っていけるレベル。右側にあるセブンイレブンのトイレを借りたので、Fさんと一度別れる。そこから少し追い上げたつもりがなかなか追いつかない。そもそも皆さんスタートからハイペースでキロ6分くらいで飛ばしている。イーブンでいきたい自分からすればどう考えてもオーバーペース。このままのペースで最後まで行けるとは到底思えない。明日3日の天気予報が大荒れらしいので(このときはそんなことになるとは信じていなかった)天候が安定しているうちに飛ばしているのかもしれないが、正直ついていくのが少々つらかった。やっとFさんに追い付いて知り合いの女性と3人で併走、湯の口エイド:21.8km到着が20:35。ここも簡易エイドで最初は「私設エイド?」と勘違いしたほど。ドリンクもらって何かを口に放り込んですぐに出発した。

走るまでは「道を間違えないように分岐ごとに地図をチェックしなくては」と考えていたけれど、いざ走り出せば前後にランナーは大勢いて、みんなが点滅ライトを点けているためコースアウトの心配はまず無い。下郷駐輪場エイド:27.8km到着が21:23、「あれ、もう着いちゃったの」という印象。気候はちょっと涼しくて走るにはちょうど良い。このエイドでKさんと再会。立山マラニック以来10ヶ月ぶり。今回8回目の萩で初完踏を狙う!と静かに燃えていらっしゃいました。
簡易エイドが続くので「もうちょっと目が覚めるような豪華エイドが出て来ないかなぁ」と我がままを言っている間に美祢高校前エイド:32km地点に到着。ここもまた簡易エイドですぐに出発。はちみつレモンは食べたが、肝心のコーラをもらい損ねた。その先のポプラでまたトイレ休憩、前後ランナーさんと少しおしゃべりしながら進むと、やっと豪華エイドである西寺交差点エイド:44kmに到着、時間は23:30。スタートから5時間強でフルの距離を超えた。かなり良いペース。腰を下ろしてコーヒーやコップ入り素麺、菓子パンなど頂いて腹ごしらえ。やっと満足しましたよ。ここまで特にトラブルもなく順調。コースはアップダウンほとんどなく単調。もうすぐ日付が変わる時刻でさすがに気温が下がってきたため、アームウォーマーを装着。これってほんと便利。
今日の装備はランキャップ、片手でサイズ調整出来るタイプなのでこのあと何度も強風にあおられた際に大変役立った。上は着古したモンベルのハーフジップTシャツ、下がユニクロのハーフパンツ。ソックスは履き古したX-SOCKS、シューズはアシックスのDSトレーナーワイド。タイツは迷ったけれど履かずに旧油谷中学校に送った。

気持ちよくエイドを出て再合流したFさんと一緒にうねうねした道を登って下る。さすがにここにきて少し疲れたのか、この区間は初めて長く感じた。目安となる鋭角に曲がるカーブが出て来てほっとする。こんな寂しい場所に真夜中に一人で立っている係員さんはさぞかし大変でしょう、「ご苦労様です」と感謝の言葉をかけて大きく右折。ちょっと進むとオレンジ色に光るトンネルがある。特に意味はなかったけれどトンネル内で「ワッ!」と大声を出してみた。そこから少し進んで右折するとCPへの道で、多くのランナーとすれ違う。すでにこれだけの数のランナーと30分ほど差がついたことになる。トイレに寄ってからCP1豊田湖畔公園 58.7kmにて初めてチェックシートにパンチを押す、というか係員さんが押してくれた。到着時間は午前1:25、通過時刻記帳(全部で9カ所)もありそこで確認した順位は150番くらいだったか。ここでチェックシートに付随している食券を切り離して渡す。うどんとアンパンをもらい、水分補給のつもりがうす~い麦茶しかないためスポドリの入っているペットに入れることも出来ず仕方なく3杯ガブ飲みした。アンパンは食べられずとりあえずザック内に収納。ここで昨年9月のしわいマラソンでご一緒した広島県のMさんと遭遇。汗さえかいておらず爽やかな様子に驚く。「全然疲れてなくてまるでこれからスタートするみたいですね」と声がけしたら笑っていらした。20分ほど滞在して出発。しばらくの間、右側に暗い湖を望みながら下る。

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俵山温泉エイド:67.1km到着が午前2:44。ここのエイドにはストーブがあって嬉しい。そしてやけにドリンクが豊富で、コーラ飲んでファンタ飲んでCCレモンまで頂いた。なんだか調子が出てきたのでいったんFさんとお別れして先行、単独走に切り替える。とうとうきつめの勾配、砂利ヶ峠(じゃりがたお)が登場。走って登れなくもないがまだまだ先は長いため、無理せずここで戦略的歩きを入れる。ピークに到達したところで下りはペースを上げて走る。周りにランナーがいなくなり文字通りの単独走。午前3時を過ぎてこんな人気の無い道路をザックを背負って孤独に走るなんて正気の沙汰ではないね、となんだか嬉しくなる。と、いきなり左側から声をかけられてビックリ、大坊ダムにある私設エイドだった。

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ちょっとだけおしゃべりしてそこから3kmほどかっ飛ばして新大坊エイド:79.8km、到着が午前4:26。一晩目はなんとか超えたかな、と一安心。ここで湯豆腐を頂いた。醤油をかけて食べると無茶苦茶美味。ずっと甘いものばかりだったので本当にしみじみ旨かった。横に明太子ソースとフランスパンがあったので食べてみたが、若干パンが湿気ていて残念。豆腐に明太子ソースをかけている人がいて、それが意外に美味しそうだった。空腹は発明を生む。それにしても風がものすごくてテントが飛ばされそう。係員全員で立ってポールを押さえていた。我々ランナーのために本当に有難うございます。

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さて、エイドを出て左折。大江の交差点を右折して油谷大橋を渡ると左に海が見えてくる、日本海じゃないですか、かなり感動。明け方で周りが見えるようになってきた。新大坊から福岡県のWさんというランナーさんと併走、萩往還は複数回完走しており、走りながらいろいろ教えて頂く。「いつのまにか私も萩往還の走り方を人に語る側になったんだなぁ」と笑っていらっしゃいました。この区間、少しきつい上りがあるもWさんが歩かないので自分も頑張って走り続ける。「どっち先に行く?」とWさんに突然尋ねられて目を凝らすと右側に海湧(うみわき)食堂発見、ここは食事ポイント。しかしその前に200m先のCP2の旧油谷中学校に寄らせてもらう。

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と、不吉なバスが我々を追い越して校庭に停車。どうやらリタイアランナーを乗せたバスらしい。この地点でリタイアは悔しいだろうなぁ。そしてCP2 旧油谷中学校:87.1km、到着は午前5:25。通過時刻を記帳。荷物を預けていないWさんに先に食堂に行って頂き、自分は荷物を受け取るために廃校内へ。シートを敷いてすでに仮眠しているランナーがいた。荷物はバッテリー、ジェル、タイツ、テーピング用テープと絆創膏。ジェルとタイツはそのまま返却した(これは本当に失敗だった)。靴下を脱いで足の状態を確認。完治していない右足小指の状態がすでに怪しい。厚めにテーピングし直す。親指母指球には新兵器「BAND-AIDキズパワーパッド」を予め貼り付けてあったのでダメージ小。でも靴下脱いだらキズパワーパッドがくっついて一部剥げてしまった。うーん、勿体ない。結局両足の処置にだいぶてこずり、海湧食堂に入ったときにはもうWさんはいなかった。牛丼とうどんの二択、もちろん牛丼を選択して急いで食べて外に出るも風が無茶苦茶強くてまともに歩けない。そしてとうとう雨までポツポツと降ってきた。あー、晴れ男パワー発揮出来ず、天気予報が的中してしまった。科学の力の前に人間は無力だ。というか自然の力か。これから予報どおり嵐になってしまうのか。二日目の朝を迎えて急に足が前に出なくなってきた...(つづく)