2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その6

ゴールまであと7km、残り4時間。少し階段を上るとすぐに下りのトレイルが始まる。結構な急斜面で、元気なら気持ちよく走って下れるなぁ、と思うも今の自分には泣けるほどきつい拷問コース。足指が痛くて前を向いて下ることが出来ないため、後ろを向いて一歩一歩下る。杖があって本当に助かる。

板堂峠から天花畑までのトレイル3.5kmは、国道を2回横断する3区間に分かれる。最初の区間は短くて500mほど。ゆっくりゆっくり下っていると後ろから(正面から)ランナーが駆けて来て「頑張って下さい!」など一言かけてくれる。そのたびに顔を上げて「有難うございます」と返す。まだこの時点ではそうする余裕があった。スピードは出ないけれど、こうやって一歩ずつ下って行けばいつかは下界に着くだろう、と思っているうちに国道に出て1区間目が終了。

なんとかなりそうだ、と思ったのはあまりにも甘い考えだった。ここからが超絶キツかった。うねうねと下る急坂がいつまでも続く。実際は1.5kmくらいの距離なのだが、行けども行けども次の国道が見えてこない。A、B、Cゼッケンの後続ランナーにどんどん追い抜かれていく。「ひっくり返らないでね~」「後ろ向きのまま瑠璃光寺まで行くの~?」と冗談を言いながら走っていくランナーがうらやましい。途中、石畳が現れて「あれ、もしかして最後の区間に入ったのかも」と錯覚するも、「一貫石」という案内板の前で地図を開くとまだ2区間目にいることがわかって、かなりがっかりする。普段使わない筋肉を使っているらしく、足に軽いけいれんが走る。浮石にのってコケかけたり、斜面をずるずると滑ってヒヤリとする。「もうダメだわ」と、路傍に寄って杖を頼りに立ち尽くす。な、長い、たかだか合計3.5kmの山道が果てしなく長い。六軒茶屋の案内板を越えるとほどなくして国道が見えてきた。やっと2区間目が終了。それにしても長く感じた。

3区間目はこれでもか!というくらい石畳が連続するコース。滑りやすいのでこれまでの2区間よりもはるかに気を遣う。あまりにも苦しくなって、杖に両手をついて、その上に額を置いて立ち止まる。座ってしまったら立ち上がれそうにもないし、そもそもこんな山道に座り込む場所も無い。その間にも後続ランナーが声をかけてくれるが、段々返答が出来なくなってきた。もはや顔さえ上げられない。何人か知り合いのランナーに追い付かれ、足指が完全につぶれて走れないことを伝え、先に行ってもらうようにお願いする。
しかし石畳は終わらない。なんでこんなに長いんだ!どうしてこんなに石を埋め込む必要があったんだ!石畳への八つ当たりが始まる。もうそろそろ終わりだろう、と思ってカーブを曲がるもまだまだ下界にたどり着く様子がない。今度は杖に両手をついたまま立ち止まって空を見上げる。木がうっそうと茂っており、ほとんど空は見えない。いつ終わるともしれない急坂の石畳に思わず「リタイアしようかな」と口に出して言ってみるが、当然その気はない。こんな山中でリタイア宣言したって誰も助けになんか来てくれないだろう。ただ、弱気になってはいけない、とは思う。弱気になると本当に足が動かなくなってアウトになる可能性がある。そういえば板堂峠にいたランナーが「あと1時間以内にゴールするから」とそこにいた家族らしき人に言っていたが、あれからもう1時間以上経過しているのに自分はまだ山中にいる、それを思うとかなりめげる。

あまりの石畳の長さに「あー、もうわかったから、いい加減に石畳終わってくれ!」と結構大きな声で叫んでしまい、ハッとする。今の悪態が周りを走っていたランナーに聞こえたかもしれない。二晩も寝ていないので精神的にも結構限界に来ているのかもしれない。今度こそ終わりだろう、と思わせぶりなつづら折りを下り切ってもまだまだ石畳は続く。今度こそ...と思ったあたりでやっと下界が見えたような気がした。しかしそこまでがまだ長い。いまだかつてこれほど長い時間、長い区間を後ろ向きに下ったことはないと思う。やっとのことでたどり着いた下界の萩往還天花坂口、石碑にもたれて座り込む。時計を見ると到着時間は15時半、この後ろ向きの下り坂3.5kmになんと1.5時間を費やした…。

そこでお父さんランナーを待っているらしい女性に声をかけてもらい、冷たいコーラを頂いた。私のすぐ後ろからやってきたお父さんはとっても元気で、お嬢さんと二言三言かわすとガッツポーズで走って行った。
あと3.5km、残り2.5時間。下りではあるが舗装路だからなんとかなるはず。生まれたての小鹿のように立ち上がり、1.5時間ぶりに前を向いて進むも、もはや足指が痛くて歩くことさえ出来ない。さてどうしようか、としばし考えて、右足シューズを脱いで足で踏みつぶす。右足首にシューズの紐をきつく巻き、つま先をやはりシューズの紐で固定して、わらじのように履いてみる。これならば足指がシューズに当たらないのでいけそうじゃない? 先ほどよりはましになって歩き出すも、すぐに紐が緩んで足とシューズが離れてしまう。強く巻き直してみるもやはり駄目。もう、こうなれば最後の手段、思い切って右足シューズを完全に脱いで手に持って歩き出す。ちょうど車道の左側に白線が引いてあるので、右足で白線の上をなぞるように歩くと比較的路面が平坦なためなんとか歩ける。靴下だけの足になるたけダメージを与えないよう、杖に頼ってゆっくりゆっくりと進む。さっきまでの山中よりは少し速く歩けているような気がするが、やはり途中何度も痛みで立ち止まる。時刻はもう午後4時に近いのにいまだ日差しが強く、何度もボトルの水を飲む。何処かで座って一休みしたかったけれど、車道沿いの歩道は狭くて休める場所が無い。それにやはりタイムが気になる。右側に見えていた金鶏湖が終わり、そこで地図を見ると残り2km。なかなか距離が稼げない。これではゴールに到着する前にバテてしまいそうだ。周りのランナーがラストを気持ちよく飛ばしていくの見ているうちに、「自分も最後くらい走るか。最後だから気持ちも昂ってなんとかなるかも」という思いに駆られ、手に持っていたシューズを履いてみる。が、当然痛い。痛くないわけがない。それでも悔しいので「もうどうなってもいいから無理して走るか」と思った瞬間、後ろから「無理したらイカンで!」と大きな声がかかる。振り向くと見知らぬおじさんランナーさんが走りながらやってくる。こちらの心の中が読めるのか、追い抜きざまにもう一度「無理したらイカン!ゴールまで間に合うから」と言って走り去っていった。しばらく呆然と見送ったが、おじさんの言う通りだな、と思い直してシューズを脱いでまたよろよろと歩き出す。ぽつぽつと人家が見えて来てそろそろゴールが近いことが分かる。途中、右側走行に変わると右足で白線を踏むためには体が車道に入ることになり、ちょっと危ない。かといって白線以外の箇所は路面が荒れており、普段はまったく気にならない程度の小石が散乱していて痛くて歩けない。前後の車に注意しながら右足で白線を踏み続けて歩く。もう靴下に穴でも空いたかな、と見てみるが意外にもっている。

残り1kmを切って、天花橋に立っている高校生らしきスタッフが声をかけてくれる。左折して車道脇でいったん立ち止まり携帯をチェック。見るとFさんからメッセージが入っており「今、ロードに出ました」とのこと。時計を見ると16:50、メッセージは20分前に発信されている。ということはかなり近くまで来ているはず。「こちらあと700mです。一緒にゴールしましょう」と返信してよたよた歩いていると、すぐにFさんがやって来た。2日前のスタート時より少し頬がこけたようで(自分もだが)一瞬分からなかった。おー、と再会を祝して一緒に歩いてゴールに向かう。四つ角を右折してビクトリーランならぬビクトリーウォーク。応援の方や、すでにゴールしたランナーの皆さんが笑顔で出迎えてくれる感動の瞬間。応援者の中にスタートまで一緒だったTさんの姿を見つけて話しかけると「40時間、切りました!」とのこと。す、すごい!行きの列車の中で確かに40時間切りたいとおっしゃっていましたが、まさしく有言実行。そういえば今日はこのまま山口に泊まらず大阪に帰るはず。まさしく鉄人。嬉しいことに大阪の同じランニングクラブの方も応援に来てくれていた、YさんとHさん。他のランナーの皆さんの状況を教えてもらう。
笑顔で瑠璃光寺の境内に入り、Fさんと二人でゴール前に記念撮影。そして、ゆっくりとゴールイン。いま終わった、250kmに渡る激闘の旅路が。ゴールタイムは46時間50分43秒。板堂峠から瑠璃光寺までの7kmに2時間50分も費やした。残り243kmよりも長く感じたかもしれない。

スタッフにチェックシートのパンチを確認してもらい、「オッケーです!」と言われて完踏証を頂く。チェックシートは回収されるものと思っていたので、返却されたときは嬉しかった。ある意味、宝物だ。しばらくゴールに留まって250km、46時間50分をふり返って感慨にふけりたかったけれど、足指をはじめボロボロなのですぐに荷物を回収して湯田温泉のホテルに送って頂いた。瑠璃光寺を離れるのは正直名残り惜しかったけれど、来年は板堂峠からの往還道を歩かず走ってゴールしたい。何よりも短縮の無い250kmのコースを完踏したい、と強く思った。来年からは抽選になるため250kmに出走出来るかは分からない。他に走ってみたい超ウルトラの大会も複数ある。本当は今年サクッと250kmを完踏して萩往還を卒業するつもりだったけれど、お陰様で忘れ物が幾つも出来たので来年以降、またここに帰ってくることに決めた。

f:id:kaimizu:20170514103914j:plain

走り終えて。

萩ロス、とでもいうのか、大会を終えてから数日間はずっと萩往還のことが頭から離れなかった。あんなにつらくて「もう終わってくれ...」と何度も思いながら歩いたにも関わらず「また来年も出るぞ!」と早くも思っている萩往還中毒者になってしまった自分がいる。
完踏はしたものの足指と足裏が崩壊、ボロボロになって結局病院にまで行くはめになった。革靴が履けずにしばらくサンダルで通勤した。「痛みを無視」した代償は想像以上に大きかった。意味があるからこそ痛みという信号が体内から発せられるわけで、それを無視してはいけないことを思い知った萩往還250km。それでも完踏出来て良かったと心底思う。

f:id:kaimizu:20160505122613j:plain

f:id:kaimizu:20160505100457j:plain

f:id:kaimizu:20160505112513j:plain

f:id:kaimizu:20160506091036j:plain
9年前の140kmの部では今回最も苦しんだあの石畳の往還道を真夜中に上った。真っ暗闇の中、前方からものすごい勢いで迫ってくる光を見て、それが何だか分からずに恐怖感さえ感じていたら、250kmの部のトップランナーが飛ぶように下ってきて走り去っていった。それが衝撃的すぎたせいか、9年前は完踏記を書くことが出来なかったが、今回は地図や携帯で撮影した写真を見ながら鮮明に大会のことを思い出すことが出来た。レース中にFBで応援メッセージを頂いたのも本当に力になった。
今年3月に萩往還の練習のために走った淡路島一周ランで不覚にも右足小指をつぶしてしまい、その後も完治しないままに走って臨んだ萩往還。足のむくみは想像以上で、かつ大雨が降ったこともあり、危惧していたとおり右足小指が破裂&脱皮、強烈に痛んで250kmの後半はまともに走れずに悔しい思いをした。荒天のために仙崎公園から静ヶ浦キャンプ場までの往復12kmがなくなったのは正直残念だったけれど、そのお陰で今回は完踏出来たのかもしれない。

ボロボロでゴールした自分が敢えて言うと、萩往還250kmは比較的走り易い大会だと思う。確かにきついアップダウンはあるけれど、坂道を全部歩いたって制限時間には間に合うはず。道中に自販機は幾つもあり、長門萩市内にはコンビニもあり、なんといっても私設エイドの数が多い。今回ひもじい思いをまったくすることがなかったことを考えると、特に食料を持たなくても完踏出来ると思う。途中、道に迷うこともあるけれど、他の超ウルトラ大会と比較して圧倒的に参加人数が多く、大抵は誰かが前後を走っており、孤独や不安を感じる時間は少ない。一番つらいのは夜を2回越えることだが、朝になってしまえばなんとかなる。本当にどうしようもなく眠たければどこかで仮眠もとれる、オアシス宗頭もある。
今年は2日目に天気が荒れまくったけれど、ある意味その天気のおかげで完踏率が上がったと思う。コースが短縮されておよそ2時間の余裕が生まれ、雨のため体温が上がり過ぎることがなかった。あれが雨でなく炎天下だったらもっと完踏率は下がっていたはず。あの荒天の中を生き残ってコース短縮を聞かされてからリタイアしたランナーはほとんどいなかっただろう。250kmの2015年完踏率が47.5%、それよりも悪天候だったと言われる今年2016年の完踏率が58.8%。やはりコース短縮に救われたのが如実に数字に表れている。

今年で萩往還を卒業して、来年は橘湾岸スーパーマラニックに出ようと思っていたけれど、まずは萩往還(の抽選)にチャレンジする(と思う)。
今回この超長文を読んで頂いて、一緒に走ってくれる仲間がもっと増えたらいいなと思うけれど、萩往還の抽選倍率が上がってしまうのは困りものかもしれません(笑)。