2014年2月 泉州国際マラソン

:初めての泉州国際マラソン出走。
思えば2010年2月に申し込み、ここでサブ3を狙う!と意気込んでいましたが、そのときは風邪と捻挫でDNS。その後はマレーシア駐在...なかなか出るチャンスがないうちに、いつのまにかエントリー難関大会になってしまった。というのも、以前は制限時間が4時間だったのが5時間に延びてエントリーしやすくなってしまったため。

さて、土曜日の午後3時のエアアジアでKLを出て関空着が午後10時、寝たのは午前1時半。眠い...朝起きて「走るのやめれば?」という言葉にむしろ後押しされて起き上がる。義父母宅から電車で40分、浜寺公園駅を降りたら目の前が会場、関東の大会と比べてこぢんまりとしており楽でいい、雰囲気がピリピリしていない。ゼッケンとTシャツの受け取りが別々で、Tシャツに手間取ったけど、あとはスムーズ。寒いのでスタート直前まで粘ってから荷物を預けたら(これもすごくスムーズ)、トイレが予想以上の長蛇の列。「スタート15分前までに決められたブロックに並んでいないランナーは最後列ブロックに行って下さい」と言われて焦るも、別に厳しい管理もしておらず普通に並べた。

ゲストのよしもとオール阪神さんのしゃべりを聞きながら午前10時半にスタート、狭い道路を5000人くらいが走るので結構な渋滞。しばらく解消されずのんびり走るが、日本のせいか大阪のせいか、かなりエルボー攻撃に遭う。日本人って謝らないよねぇ。

木曜日にシンガポールとKLで二度走ったのが致命的で、足底にずっと痛みを抱えたままスタートを迎えてしまった。「ま、ここまで来たら言い訳無用。なんとかなるでしょ」という気持ちで走る。ただしペースは6分/km、本日の目標タイムはサブ4、悪くても4時間12分切り。

最初は堺方面に北上してすぐ折り返し、あとはひたすら南下、関空の向かい側であるりんくうタウンまで下る。そこから唯一のアップダウンであり最後の難関のスカイブリッジ、マリンブリッジが待っている。そこを上って降りて、往復合計4回のアップダウンをクリアすればゴールは近い。

天気は快晴、二日前の雪はすっかり解けていた。日向は結構暑いが、日蔭は寒い。たまに冷たい風が吹き付けてちょうど気持ちがいい。言い訳出来ないGoodな天候。
しかし足裏にアスファルトの硬さが響く。「日本のアスファルトってこんなに硬かったっけ?冬だからかな...」と思いながら走る。

スタートしてから暑くなってきたにもかかわらずエイドが見当たらない。結局第一エイドがあったのは10km過ぎ、これには参った。あとはほぼ5kmごとにエイドが設置されていた。水とスポドリがメインでバナナが置いてあるエイドもあった。
スタート直後は沿道の応援が少なかったけど、お昼頃から人も増えて私設エイドでチョコや飴を配ってくれていた。チビッ子から飴をもらいたかったけど、自分でも飴(ホールズ)を持って走っていたし、包装をむく余裕がなかったので結局もらわなかった。
5kmあたりで一度だけトイレに寄ったが、並んでおらずラッキー! あとはゴールまで我慢出来た。

コースは最後のブリッジまではひたすらフラット、かつコーナーもほとんどないため走り易い。距離表示は1kmごとにあって有難かった。
10km過ぎから調子が出てきて5分/kmを少し切るペースで走り、周りのランナーと競り合いながら距離を稼ぐ。GPS時計のラップがうまく取れていないことが分かりガックリする。走りながらいじってみたけど時すでに遅し。結局正確なラップは大会事務局のアップを待たねばならない。記憶では10km時点で51分、20kmで1時間40分前後だったような。「後半上げればサブ3.5いけるかも」と思い頑張るが、練習してないからやはり足がどーにも動かない。あとこの数ヶ月で5kg増えてしまった体重のせいで、下腹部が特に重い...はー、練習しないとやっぱりダメね、と走りながら思う。

ひたすら、ただひたすらに単調なコースを走るが沿道の応援はそれなりにあり、前後のランナーが絶えないので飽きることはなかった。30km通過のタイムが149分前後だったと記憶。「サブ3.5いけそうじゃん」と思うも、そうは問屋が卸さない。その後コーナーが増えてスピードが落ちる、もはや足裏はかなりの激痛だがとりわけコーナーを曲がるときがとても痛くて歩くスピードになってしまう。「せめて痛みがマヒしてくれんかな」と思う。歩きたくなるけどそれはさすがにカッコ悪い。

33kmからいよいよブリッジの上り。はじめ目にしたときは「おいおい、フルのコースであれ上るの?」と驚く。それでも最初の2つの上りはスムーズに行けた(つもり)だが、最後の折り返しで北上を始めた途端にすごい向かい風。「うわー」と帽子を押さえながら走る。そのままあと2つのブリッジの上りはもはや走っているんだか歩いているんだかわからない状態、スピードがいっきに落ちてきた...隣を走っているお父さんらしき人が沿道を伴走している息子さんに「あれ上んの、いややー」と走りながら泣きを入れていた。

ブリッジを渡り終え、公園側に左折して海沿いの工事現場の裏側みたいな狭い通路を走り、最後の直線も飛ばせず終了、手元時計のGun Timeで3時間31分10秒、サブ3.5は達成出来ませんでしたが、十分な結果です。

ゴール直後も静かなかんじ、会場は高速下の広場で暗くて狭い...たいした出店もないため着替えて早々に退散しました。

久々の日本の冬のフルマラソン。こんなかんじだったなぁ、と思いながら走りました。
とにかく体が重くて、足底痛くて飛ばせなかった。
これからしばらく休養して足底痛を快復させてまた真面目に練習再開したい。
ここからどうやって30分短縮してサブ3を達成するか、考えて実践していかないと。

感想としては、一言でいうと昔ながらの硬派な大会。良い意味でも悪い意味でも地味でした。でも21回もやっているだけあって運営は至極スムーズでした。こういう大会はぜひ今後も生き残って頂きたいと思います。またいつか出るかもしれませんが、あの最後のブリッジはかなりの難関...