2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その6

ゴールまであと7km、残り4時間。少し階段を上るとすぐに下りのトレイルが始まる。結構な急斜面で、元気なら気持ちよく走って下れるなぁ、と思うも今の自分には泣けるほどきつい拷問コース。足指が痛くて前を向いて下ることが出来ないため、後ろを向いて一歩一歩下る。杖があって本当に助かる。

板堂峠から天花畑までのトレイル3.5kmは、国道を2回横断する3区間に分かれる。最初の区間は短くて500mほど。ゆっくりゆっくり下っていると後ろから(正面から)ランナーが駆けて来て「頑張って下さい!」など一言かけてくれる。そのたびに顔を上げて「有難うございます」と返す。まだこの時点ではそうする余裕があった。スピードは出ないけれど、こうやって一歩ずつ下って行けばいつかは下界に着くだろう、と思っているうちに国道に出て1区間目が終了。

なんとかなりそうだ、と思ったのはあまりにも甘い考えだった。ここからが超絶キツかった。うねうねと下る急坂がいつまでも続く。実際は1.5kmくらいの距離なのだが、行けども行けども次の国道が見えてこない。A、B、Cゼッケンの後続ランナーにどんどん追い抜かれていく。「ひっくり返らないでね~」「後ろ向きのまま瑠璃光寺まで行くの~?」と冗談を言いながら走っていくランナーがうらやましい。途中、石畳が現れて「あれ、もしかして最後の区間に入ったのかも」と錯覚するも、「一貫石」という案内板の前で地図を開くとまだ2区間目にいることがわかって、かなりがっかりする。普段使わない筋肉を使っているらしく、足に軽いけいれんが走る。浮石にのってコケかけたり、斜面をずるずると滑ってヒヤリとする。「もうダメだわ」と、路傍に寄って杖を頼りに立ち尽くす。な、長い、たかだか合計3.5kmの山道が果てしなく長い。六軒茶屋の案内板を越えるとほどなくして国道が見えてきた。やっと2区間目が終了。それにしても長く感じた。

3区間目はこれでもか!というくらい石畳が連続するコース。滑りやすいのでこれまでの2区間よりもはるかに気を遣う。あまりにも苦しくなって、杖に両手をついて、その上に額を置いて立ち止まる。座ってしまったら立ち上がれそうにもないし、そもそもこんな山道に座り込む場所も無い。その間にも後続ランナーが声をかけてくれるが、段々返答が出来なくなってきた。もはや顔さえ上げられない。何人か知り合いのランナーに追い付かれ、足指が完全につぶれて走れないことを伝え、先に行ってもらうようにお願いする。
しかし石畳は終わらない。なんでこんなに長いんだ!どうしてこんなに石を埋め込む必要があったんだ!石畳への八つ当たりが始まる。もうそろそろ終わりだろう、と思ってカーブを曲がるもまだまだ下界にたどり着く様子がない。今度は杖に両手をついたまま立ち止まって空を見上げる。木がうっそうと茂っており、ほとんど空は見えない。いつ終わるともしれない急坂の石畳に思わず「リタイアしようかな」と口に出して言ってみるが、当然その気はない。こんな山中でリタイア宣言したって誰も助けになんか来てくれないだろう。ただ、弱気になってはいけない、とは思う。弱気になると本当に足が動かなくなってアウトになる可能性がある。そういえば板堂峠にいたランナーが「あと1時間以内にゴールするから」とそこにいた家族らしき人に言っていたが、あれからもう1時間以上経過しているのに自分はまだ山中にいる、それを思うとかなりめげる。

あまりの石畳の長さに「あー、もうわかったから、いい加減に石畳終わってくれ!」と結構大きな声で叫んでしまい、ハッとする。今の悪態が周りを走っていたランナーに聞こえたかもしれない。二晩も寝ていないので精神的にも結構限界に来ているのかもしれない。今度こそ終わりだろう、と思わせぶりなつづら折りを下り切ってもまだまだ石畳は続く。今度こそ...と思ったあたりでやっと下界が見えたような気がした。しかしそこまでがまだ長い。いまだかつてこれほど長い時間、長い区間を後ろ向きに下ったことはないと思う。やっとのことでたどり着いた下界の萩往還天花坂口、石碑にもたれて座り込む。時計を見ると到着時間は15時半、この後ろ向きの下り坂3.5kmになんと1.5時間を費やした…。

そこでお父さんランナーを待っているらしい女性に声をかけてもらい、冷たいコーラを頂いた。私のすぐ後ろからやってきたお父さんはとっても元気で、お嬢さんと二言三言かわすとガッツポーズで走って行った。
あと3.5km、残り2.5時間。下りではあるが舗装路だからなんとかなるはず。生まれたての小鹿のように立ち上がり、1.5時間ぶりに前を向いて進むも、もはや足指が痛くて歩くことさえ出来ない。さてどうしようか、としばし考えて、右足シューズを脱いで足で踏みつぶす。右足首にシューズの紐をきつく巻き、つま先をやはりシューズの紐で固定して、わらじのように履いてみる。これならば足指がシューズに当たらないのでいけそうじゃない? 先ほどよりはましになって歩き出すも、すぐに紐が緩んで足とシューズが離れてしまう。強く巻き直してみるもやはり駄目。もう、こうなれば最後の手段、思い切って右足シューズを完全に脱いで手に持って歩き出す。ちょうど車道の左側に白線が引いてあるので、右足で白線の上をなぞるように歩くと比較的路面が平坦なためなんとか歩ける。靴下だけの足になるたけダメージを与えないよう、杖に頼ってゆっくりゆっくりと進む。さっきまでの山中よりは少し速く歩けているような気がするが、やはり途中何度も痛みで立ち止まる。時刻はもう午後4時に近いのにいまだ日差しが強く、何度もボトルの水を飲む。何処かで座って一休みしたかったけれど、車道沿いの歩道は狭くて休める場所が無い。それにやはりタイムが気になる。右側に見えていた金鶏湖が終わり、そこで地図を見ると残り2km。なかなか距離が稼げない。これではゴールに到着する前にバテてしまいそうだ。周りのランナーがラストを気持ちよく飛ばしていくの見ているうちに、「自分も最後くらい走るか。最後だから気持ちも昂ってなんとかなるかも」という思いに駆られ、手に持っていたシューズを履いてみる。が、当然痛い。痛くないわけがない。それでも悔しいので「もうどうなってもいいから無理して走るか」と思った瞬間、後ろから「無理したらイカンで!」と大きな声がかかる。振り向くと見知らぬおじさんランナーさんが走りながらやってくる。こちらの心の中が読めるのか、追い抜きざまにもう一度「無理したらイカン!ゴールまで間に合うから」と言って走り去っていった。しばらく呆然と見送ったが、おじさんの言う通りだな、と思い直してシューズを脱いでまたよろよろと歩き出す。ぽつぽつと人家が見えて来てそろそろゴールが近いことが分かる。途中、右側走行に変わると右足で白線を踏むためには体が車道に入ることになり、ちょっと危ない。かといって白線以外の箇所は路面が荒れており、普段はまったく気にならない程度の小石が散乱していて痛くて歩けない。前後の車に注意しながら右足で白線を踏み続けて歩く。もう靴下に穴でも空いたかな、と見てみるが意外にもっている。

残り1kmを切って、天花橋に立っている高校生らしきスタッフが声をかけてくれる。左折して車道脇でいったん立ち止まり携帯をチェック。見るとFさんからメッセージが入っており「今、ロードに出ました」とのこと。時計を見ると16:50、メッセージは20分前に発信されている。ということはかなり近くまで来ているはず。「こちらあと700mです。一緒にゴールしましょう」と返信してよたよた歩いていると、すぐにFさんがやって来た。2日前のスタート時より少し頬がこけたようで(自分もだが)一瞬分からなかった。おー、と再会を祝して一緒に歩いてゴールに向かう。四つ角を右折してビクトリーランならぬビクトリーウォーク。応援の方や、すでにゴールしたランナーの皆さんが笑顔で出迎えてくれる感動の瞬間。応援者の中にスタートまで一緒だったTさんの姿を見つけて話しかけると「40時間、切りました!」とのこと。す、すごい!行きの列車の中で確かに40時間切りたいとおっしゃっていましたが、まさしく有言実行。そういえば今日はこのまま山口に泊まらず大阪に帰るはず。まさしく鉄人。嬉しいことに大阪の同じランニングクラブの方も応援に来てくれていた、YさんとHさん。他のランナーの皆さんの状況を教えてもらう。
笑顔で瑠璃光寺の境内に入り、Fさんと二人でゴール前に記念撮影。そして、ゆっくりとゴールイン。いま終わった、250kmに渡る激闘の旅路が。ゴールタイムは46時間50分43秒。板堂峠から瑠璃光寺までの7kmに2時間50分も費やした。残り243kmよりも長く感じたかもしれない。

スタッフにチェックシートのパンチを確認してもらい、「オッケーです!」と言われて完踏証を頂く。チェックシートは回収されるものと思っていたので、返却されたときは嬉しかった。ある意味、宝物だ。しばらくゴールに留まって250km、46時間50分をふり返って感慨にふけりたかったけれど、足指をはじめボロボロなのですぐに荷物を回収して湯田温泉のホテルに送って頂いた。瑠璃光寺を離れるのは正直名残り惜しかったけれど、来年は板堂峠からの往還道を歩かず走ってゴールしたい。何よりも短縮の無い250kmのコースを完踏したい、と強く思った。来年からは抽選になるため250kmに出走出来るかは分からない。他に走ってみたい超ウルトラの大会も複数ある。本当は今年サクッと250kmを完踏して萩往還を卒業するつもりだったけれど、お陰様で忘れ物が幾つも出来たので来年以降、またここに帰ってくることに決めた。

f:id:kaimizu:20170514103914j:plain

走り終えて。

萩ロス、とでもいうのか、大会を終えてから数日間はずっと萩往還のことが頭から離れなかった。あんなにつらくて「もう終わってくれ...」と何度も思いながら歩いたにも関わらず「また来年も出るぞ!」と早くも思っている萩往還中毒者になってしまった自分がいる。
完踏はしたものの足指と足裏が崩壊、ボロボロになって結局病院にまで行くはめになった。革靴が履けずにしばらくサンダルで通勤した。「痛みを無視」した代償は想像以上に大きかった。意味があるからこそ痛みという信号が体内から発せられるわけで、それを無視してはいけないことを思い知った萩往還250km。それでも完踏出来て良かったと心底思う。

f:id:kaimizu:20160505122613j:plain

f:id:kaimizu:20160505100457j:plain

f:id:kaimizu:20160505112513j:plain

f:id:kaimizu:20160506091036j:plain
9年前の140kmの部では今回最も苦しんだあの石畳の往還道を真夜中に上った。真っ暗闇の中、前方からものすごい勢いで迫ってくる光を見て、それが何だか分からずに恐怖感さえ感じていたら、250kmの部のトップランナーが飛ぶように下ってきて走り去っていった。それが衝撃的すぎたせいか、9年前は完踏記を書くことが出来なかったが、今回は地図や携帯で撮影した写真を見ながら鮮明に大会のことを思い出すことが出来た。レース中にFBで応援メッセージを頂いたのも本当に力になった。
今年3月に萩往還の練習のために走った淡路島一周ランで不覚にも右足小指をつぶしてしまい、その後も完治しないままに走って臨んだ萩往還。足のむくみは想像以上で、かつ大雨が降ったこともあり、危惧していたとおり右足小指が破裂&脱皮、強烈に痛んで250kmの後半はまともに走れずに悔しい思いをした。荒天のために仙崎公園から静ヶ浦キャンプ場までの往復12kmがなくなったのは正直残念だったけれど、そのお陰で今回は完踏出来たのかもしれない。

ボロボロでゴールした自分が敢えて言うと、萩往還250kmは比較的走り易い大会だと思う。確かにきついアップダウンはあるけれど、坂道を全部歩いたって制限時間には間に合うはず。道中に自販機は幾つもあり、長門萩市内にはコンビニもあり、なんといっても私設エイドの数が多い。今回ひもじい思いをまったくすることがなかったことを考えると、特に食料を持たなくても完踏出来ると思う。途中、道に迷うこともあるけれど、他の超ウルトラ大会と比較して圧倒的に参加人数が多く、大抵は誰かが前後を走っており、孤独や不安を感じる時間は少ない。一番つらいのは夜を2回越えることだが、朝になってしまえばなんとかなる。本当にどうしようもなく眠たければどこかで仮眠もとれる、オアシス宗頭もある。
今年は2日目に天気が荒れまくったけれど、ある意味その天気のおかげで完踏率が上がったと思う。コースが短縮されておよそ2時間の余裕が生まれ、雨のため体温が上がり過ぎることがなかった。あれが雨でなく炎天下だったらもっと完踏率は下がっていたはず。あの荒天の中を生き残ってコース短縮を聞かされてからリタイアしたランナーはほとんどいなかっただろう。250kmの2015年完踏率が47.5%、それよりも悪天候だったと言われる今年2016年の完踏率が58.8%。やはりコース短縮に救われたのが如実に数字に表れている。

今年で萩往還を卒業して、来年は橘湾岸スーパーマラニックに出ようと思っていたけれど、まずは萩往還(の抽選)にチャレンジする(と思う)。
今回この超長文を読んで頂いて、一緒に走ってくれる仲間がもっと増えたらいいなと思うけれど、萩往還の抽選倍率が上がってしまうのは困りものかもしれません(笑)。

2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その5

すでに日が高く昇り、最終日は暑くなりそうな予感。足指激痛のため下りは絶対に走れないことを考えると、平地と上りである程度距離を稼いでおく必要がある。もうCPは無いので積極的に写真を撮る必要もない。ショルダーポケットの携帯をザックに入れ、代わりに折り畳んだ地図を差し込む。ここからは本当に距離と時間との戦いであるため、間違いなく何度も地図を見返すだろうからすぐに手に取れる位置がよい。チーム山口の6人はここからしっかり走るとのことでいったんお別れした、というかあっさりとおいていかれた。コースがまったくわからないため、前方を走るランナーを視野に入れて進む。陶芸の村公園からいきなりきつい下りでヨチヨチ歩きしか出来ない。下り切って直進、橋を渡り大きな交差点を誘導員スタッフ(久しぶりに見た)の指示に従って左折、しばらく直進してまた大きな橋を渡ったところで右にあるセブンイレブンでペットボトルを1本購入。往還道=山道に入ると自販機もないため、暑くて長いであろう先のことを考えると安全のためボトルは2本持っておきたい。

往還道に入る前の旧村田蒲鉾店エイドは午前8時オープンのためまだ開いていなかった。そこから車道左脇に入り、正面から来るランナー達と行き違いながら往還道に向かう。そこで140kmに参加しているHさんと遭遇。「予定より1時間遅れてます」というが、なんだかとっても楽しそう。「お互いにゴールまで頑張りましょう」とエールを交わして別れる。しばらく続く舗装路の上り坂では、足指はダメでも足の筋肉はまだ生きているので少しだけ根性見せて歩かずに上り切り、何人かのランナーを追い越す。いよいよ往還道=山道に入る前に写真撮影、そのあたりに転がっている手頃な枝を拾って杖とする。結局ここで拾った杖は瑠璃光寺まで持ち帰ることとなった。山道の上りは足指への刺激が少ないため(そのときの自分としては)快調に上れる。しかし、ピークまで上ってからの下りはもう拷問に近い…。一歩一歩、杖をついて足指に刺激を与えないようゆっくり慎重に下る、しか出来ない。後ろにランナーの気配を感じれば、脇によけて先に行ってもらう。向かい側から走ってくるBやCのランナーさんがこちらのAゼッケン(250km)を見て「お帰りなさ~い」と声をかけてくれるのが嬉しい。が、正直走れていないのでかなり体裁が悪い。颯爽と走れていればその掛け声もまた違ったものに感じられたのだろうけれど。

f:id:kaimizu:20160504080700j:plain

超スローペースでなんとか下り切って舗装路に出る。下界はすでにかなり気温が上がっている。次の明木エイドにとにかく早くたどり着きたい。シリアスに走っているCの上位ランナーには尋ねづらいが、この時間にこの地点をのんびり走っているBのランナーならいいだろう、と思って「明木エイドはまだですか?」と尋ねると「もうすぐそこです。たぶん1kmもないですよ」との返事があり、その言葉を信じて歩き走りするもののなかなか到着しない。日陰がまったくなく、すでに直射日光がきつい。行けども行けどもエイドらしきものが前方に見えないので気持ちが切れかける。あまつさえ寝不足のせいかイライラさえしてくる。性懲りもなく前方から来るランナーにまた話しかけてみると「もう少し行くと橋があるので、それを渡るとすぐにエイドがありますよ」とのこと。こういう具体的な説明が有難い。かなり進んでからやっと小さな橋を渡り、右折すると遠くに(自分にはかなり遠くに見えた)エイドらしきものが見えた。あとで地図を見てみると舗装路に下り立ってからエイドまで2kmはあった。

明木エイド:227km地点、到着時間が午前9時。トイレに寄ってからバッタリとパイプ椅子に座り込む。もうワタシは動けませんよ…と、ひよっていたらMさんに遭遇。Cゼッケンの70kmに弟さんと一緒に出走とのこと。エイドからコーラとお饅頭を持ってきてくれたので頂く。それで少し元気が出てエイドを出発。すぐに山道に入ってひたすら上り。今の自分には上りは非常に有難い。杖を使って一気に石畳を上っていく。確かに杖は上りも下りもサポートの役目を果たしてくれる優れモノ。よくトレイルでストックを使っているランナーがいるが、今回その理由が良く分かった。スピード走ならまだしも長距離では絶大な威力を発揮すると思う。
きついと言われていた一升谷も、あれもう着いちゃったの?という感じで、なんなく十合目をクリア。そこから車道に出て更に上り。すでにかなり気温が上がってランナーにとって厳しい状況になってきた。さすがに暑くなってアームウォーマーを外し、インナーのファイントラックを脱ぐ。歩き走りを繰り返してピークの釿ノ切峠に到達、そこから自分にとって拷問の下りがまた始まる。ただひたすら右足指に刺激を与えないようにゆっくりと下りていくだけ。変な歩き方をするので右膝への負担が半端ない。パタパタと駆け下りていくランナーがあまりにも羨ましくて、もはや同じ大会に参加しているとは思えない。

なんとか舗装路に下り立ち、ラストエイド佐々並:237kmに到着。時刻は午前11:40。地図で確認したところ、残り約14kmを6時間で走ればよい計算。よくぞここまで漕ぎ着けた、一安心して30分ほど長居をする。名物の豆腐を頂き、普段は使わないエアーサロンパスをおまじないとともに足の各所に噴きかけまくり、シューズを脱いで右足小指の状況を確認する。足指の皮がめくれて酷いことになっているのは分かっていたが、よく見ると足自体がむくんでかなり肥大している。これでは確かにシューズがきついわけだ。走るとすっぽ抜けるくらいまで最大限にシューズの紐を緩めても、履いてみるとまだシューズがきつい、う~ん、本当に痛い。いい歳した成人男子が言うのもなんだけど、心底痛いよ、おじさん泣いちゃうよ。後方10メートルくらいにあるトイレが遥か彼方に感じられるも、この先長くなるだろうから寄っておく。

f:id:kaimizu:20160504115031j:plain

さて、最後の旅路に出発。ザックはしっかり背負っている。杖は右手に持っている。出来ればシューズを脱ぎ捨ててしまいたいが代案が無い。頭の中で再度計算する。あと残り6時間で14km、おおざっぱに区分けすると、まず板堂峠までの車道の上りが7km、そこから始まる往還道の下りが3.5km、下り終わってゴールまでの車道が同じく3.5km。まず板堂峠までの7kmを2時間でいきたい、最初の1時間で4km前進したい。ここで初めてGPSを作動させて移動距離を測る。走ればあっという間の4kmも、炎天下のきつい上り、おまけに足指が崩壊しているとまったく距離が稼げない。杖をつきながらヨタヨタと歩く。ちょっと歩いてはガードレールにつかまって右足シューズを脱いで足を開放、またちょっと歩いては足を開放。このままでは1時間で4kmも前に進めない。意を決して「痛みを無視」して超スローながらも走ってみるが100メートルも走れない、あー、情けない、惨めだ、本当に惨めだ。こんなにも気持ちの良い初夏の青空を仰いで泣き出したい気分になる。ウグイスさえ気分良さそうに鳴いているのになぜなんだ!何人もの後続ランナーが追い抜きざまに声をかけてくれる。「どうしたの?」「ここまで来ればもう大丈夫!」「無理しないで」と気を使ってくれる。皆さんだって満身創痍だろうに。

炎天下を無理して走ったせいか、めまいがして頭がクラクラしてきた。まずい兆候。そういえば明木エイドで饅頭を食べて以降、佐々並では豆腐しか食べていない。あまりの足指の痛みに食欲を感じる余裕もなかったが、どうやらハンガーノックになりかけているらしい。慌ててCP1:豊田湖畔公園から後生大事にザックに入れていたアンパンにかぶりつく。ちょっと木陰で休むとめまいは収まった。危なかった。GPSを見るとなんとか1時間で目標の4kmを前進出来た。次の1時間であと3km前進、最終関門の夏木キャンプ場を越えて往還道入口の板堂峠までたどり着きたい、たどり着かないとまずい。とにかく歩き続けよう、前に進もう、それだけを考えながら足を動かすも右足指の激痛がそれを妨げる。あまりの痛みに立ち止まり、地図を取り出して眺め、前方を見上げ、いったいあとどれくらい歩けば夏木キャンプ場にたどり着くのか、あのカーブの先か、と何十回考えたかわからなくなる頃にとうとう夏木キャンプ場に到着。2つある私設エイドのうち1つでコーラを頂く。ギターを弾きながらランナーの応援してくれている人がいた。そこから更に500メートルほど進んでやっと板堂峠に到着。誘導員スタッフに言われるがままに山道に入って行く。時間はちょうど午後2時。残り7kmであと4時間。
(まだ終わりませんでした。あともう1回だけ続く)

2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その4

1時間半も滞在してしまったオアシス宗頭、再スタートの際に「一人にならないように」とスタッフの方から声をかけて頂く。宗頭から難所の鎖峠を越え、迷いやすいという三見駅周辺、そこからお化けが出るという噂のコースを通って玉江駅へ。玉江駅までたどり着けばゴールまでは9年前の140km大会で一度走っているので、なんとかなりそうな気がする。玉江駅までは誰かについていきたい。ちょうど前に集団で歩いているグループがいたのでその後ろにつく。そのうちの一人の方に「僕らゴールまで歩くペースで行きますけど、それでよかったら一緒に行きますか」と有難いお言葉を頂き、二つ返事で連れて行ってもらう。まさに渡りに船、地獄に仏とはこのことか。6人とも地元山口県出身で「試走もしているのでコースはばっちりです」とのこと、ますます有難し。宗頭から3kmほど行くとCP9 藤井商店:179.5km(ちなみにこれらの距離表示は実際には走っていない静ヶ浦キャンプ場往復距離も含む)、到着時間は21:50。歩きなので仕方がないけれど3kmに50分もかかってしまった。今後もこのペースだとどこかで余裕がなくなるかもしれない。

f:id:kaimizu:20160503215212j:plain

藤井商店を左折していよいよ峠の上りに入る細い道。右側が沢らしく増水した流れの音がするが、ガードレールがないので危なくてのぞき込むことが出来ない。4人が先行して、自分は後ろの2人と一緒に歩く。宗頭で着替えて歯も磨いたので気分はすっきり、出来ればお目めもぱっちり、といきたいところだが、どうやら私も含めて3人とも猛烈な眠気に襲われている様子。歩いて坂を上っている間にいつのまにか目をつぶってしまう、危ない。立ち止まってお互い手持ちの食べ物を分け合って眠気を覚ます。私はクロレッツのブラックガムを配った。1個では物足りないので、2個まとめて頬張ってなんとか眠気をやり過ごす。おもむろに一番後ろを歩いている人がわめく。「なんか木の枝の間にたくさんサルがいる気がする」って、一匹もいないから!サルは夜行性じゃないから!今度は白っぽい土壌が露出した道路脇の斜面がたくさんの人の顔に見える。「おー、たしかに見える、見える」と3人で妙に感心する、おかしな精神状態が醸し出す不思議な時間帯。なんか僕らマズいことになってるみたい。

その後も背の高い草が人に見えたり、軽い幻覚に苛まれながらもなんとか上り切って国道に合流して右折、上り坂とはいえこの1.5kmに1時間も費やした。そこから更に上らされて1km先に鎖峠の表示が出る。一転、今度は延々下りが続くも足指が痛くてまったく走れない。とぼとぼと前の4人についていくのが精一杯。空を見上げると星が美しい。都会では見られない数の星が輝いている。不思議だ、こんなに眠くて足が痛いのに星を愛でる気持ちがまだ残っている。
途中の自販機でホットコーヒーを買って後ろの2人を待っていると、後続ランナー数名がパタパタと下りて来て颯爽と追い抜いていく。あー、下りをあんなスピードで走れるなんて羨ましい。今だけ足指を取り換えて欲しいくらい。なんとか坂を下り切るも、もう指の痛みが限界に達してシューズを履いていられない。立ち止まってシューズを脱いでしばし休憩、思わずためしに右足だけ靴下のままで走り出してみる。おー、なんて快適なんだ、もっと早くやっておけばよかった。なんて訳はなく、まったく慣れていないのでやっぱり足裏が痛い。仕方なく右足シューズの靴紐を極端に緩め、ぶかぶかにして履くことにする(このときにシューズの中敷きを外せば少しは楽になったのかもしれないが、最後までその発想には至らなかった)。そんな私を見かねたのか、チーム山口6人組の唯一の女性から「ロキソニン」を頂戴した。自分のこだわりとして薬には頼らない主義だが、もはや神にもすがりたい思いでこの鎮痛剤を1錠、流し込む。そのとき突然後方から大会運営車がやって来て「歩道を走って下さ~い」とランナーに声をかけていく。ちょっとびっくり。まさしくこんな真夜中にご苦労様です、と言うしかない。

前の4人にまたおいていかれ、3人で鋭角に左に曲がる橋の付近でちょっとだけ迷いながらもCP10 三見駅:188.6km、日付が変わって5/4(水)0:15に到着。残り時間はあと18時間。宗頭から12kmをひたすら歩いて3時間を費やした。ちょうどCPを出ていく山口組4人と入れ替わりにエイドステーションである駅舎に入り、ストーブで温まりながらカップヌードルを頂く。ノーマル、カレー、シーフードの3択から迷うことなくシーフードを選ぶ。本当はチリトマトが一番のお気に入りなのだが、今日は全部がお気に入り。「ハイ、どうぞ!」と差し出されたヌードルを1分も待たずに食す。う、うまい。人生で食べたカップヌードルの中で一番うまいかも。ちなみに二番目にうまかったのは、昨日の暴風雨の中、休憩した日置エイドで食べたカップヌードル。テーブルにはオニギリが山盛り置いてあり、ラスト1個の明太子、更にシーチキンまで頂いてお腹いっぱい、幸せになった。

f:id:kaimizu:20160504001536j:plain

さて、これからが萩往還で一番怖いと言われる三見駅玉江駅間の8kmコース。ここまで思ったよりも時間が掛かったという漠然とした焦りもあり、単純に眠気覚ましのためもあり、上り以外はちょっと走ってみることにした。駅を左に出て最初の踏切手前を右折。そこまでついてきてくれた地元のスタッフの方と別れてヨイショと走り出す。道幅が狭く、昨日の暴風雨のせいもあるのか路面がかなり荒れており確かに走りづらい。自分はむしろ上りは走れるが下りはまったく走れない。結局3人でフラットな区間だけ走る。
少し走ると暗闇にエイド発見。嬉しいことにビートルズを大音量でかけている、我々が到着したときにはGet Backがかかっていた。でももう戻れない。結構メニューが豊富で何を食べようか嬉しい悩み。お、煎餅だ!と口に放り込んだら柔らかい。「なんだ、さつま揚げか。煎餅かと思った」と言ったらエイドの方が「さっきも煎餅と間違えた人がいたなぁ(笑)」とおっしゃる。コーヒーをブラックで頂いて出発。また踏切を越えて海沿いへ。次の私設エイドは併走していたランナーさんの仲間がやっており、おしゃべりで盛り上がっていた。しかしこんな時間にこんな寂しい場所で、それも海沿いでかなり寒いのによくエイドを開いているなぁ、と内心かなり感心する。
そこから更に頑張って走り続けて前の4人に追い付く。街中を抜けて意外に長い路地を歩いてやっとのことで玉江駅エイドに到着、ここは午前2時から始発が来る午前6時までの時間限定エイドで、CPではない。9年前に来たときは「ここは250kmランナー専用のエイドです」とすげなく立ち寄りを断られた記憶がある。今度は堂々と立ち寄って温かい飲み物を頂いてから出発。2、3人のランナーが駅舎内で仮眠をとっていた。道路沿いに進んで橋を渡ると左側が萩城跡。9年前は140kmの荷物受取所となっており、ここで着替えてライト等を預け、早朝から爆走した記憶が蘇る。しかし現在は萩往還のコースには入っていない。突き当りを右折して海沿いの公園がCP11 浜崎緑地公園:198.5km地点、到着時間は午前2:17。説明会でも散々注意されたが、確かに暗がりにあって無人なので分かりづらいCPだと思う。

f:id:kaimizu:20160504021720j:plain

もうこのへんで全員眠くて限界となったため、いったんコース沿いのローソンに入ってコーヒーを飲むことにする。ここがちょうど200km地点。私を含めて3人は店先にどっかり座り込んで数分間寝込む。夜風が露出した足を冷やすも眠気が勝る。チーム山口が出発する頃に起き上がり、とりあえず先に行って頂いて一人でコーヒーを飲みながら歩く。なんとか復活したつもりでフラットな街中の車道沿いをヨタヨタと数十メートル走っては歩く、を繰り返して前を追う。暗闇の中、対向車線の歩道をすでに虎ヶ崎周回を終えたランナー達が向かって来る、速い。
なんとかチーム山口6人組に追い付いて、そこで歩くとまた眠ってしまいそうなので、ちょっとだけ先に行かせてもらうつもりでヨタヨタとペンギン走りを続ける。笠山入口の表示が出たら車道を外れて左折、少し行って池を右に見ながらまた左折して時計周りの周回に入る。前後に誰もおらずほぼ真っ暗。今までずっと誰かについて走ってきたので初めて地図を見ながら一人で走る。地図をDLした携帯をにらみながら笠山山頂方面に向かい、山頂に行く手前の分岐を左へ。ちなみに9年前は笠山山頂がCPであったが今は違う。暗い道を地図通りに左に曲がりながら下りていく。あれ、舗装がアスファルトでなくコンクリートになった、私道っぽい。そのまま坂を下り切ったところで門があって行き止まりに見える。行けるか、行けないよな、としばらくウロウロするもやはり行けそうもない。仕方なく下りてきた坂を上ったところで後ろから2人組が来る。「こっちじゃないみたいですよ」と3人で迷っているところに更にもう1人ランナーが来て、先ほど自分が下った坂を下りていく。が、しばらくして諦めて上ってきた。「誰かコースを知っている人が来るまで待とう」ということになり、4人で笠山山頂への分岐点まで戻って待っているとランナーがやってきた。「こっちですよ!」と正しいコースを教えてくれたそのランナーさんはものすごいペースで坂を上っていく。先ほどは分岐を左に行ったが、正しくは右というか直進。もう少し上るとまた分岐があって、そこを左に行くのが正解。これは分かりづらい。一緒にいたランナーさん曰く「250キロは初めてじゃないけど、こんな早くて暗い時間に笠山に来たのが初めてだったから分からなかった」とのこと。よく見ると我々に正しいコースを教えてくれたランナーさんはゼッケンBの140kmランナーだった。「まさか140のトップ?」「いえ、トップではありませんが前の方にいると思います」と言って軽やかな足取りで走り去っていった。同じランナーとはいえ、彼よりも24時間長く動いている我々には到底出せない速力であった。

結局、今回初の痛恨ロストで30分ほど無駄にした。140kmランナーさんは当然のこと、前の3人にもついていくことが出来ず、文字通り真っ暗闇の中を一人とぼとぼと歩く。装着していたヘッドライトの電池が切れてきたのか、やけに光が心もとなくなってきたが、あと30分もしないうちに夜が明けるだろう。そのうち完全に明かりが消えたが電池を換えるのも億劫でそのまま歩く。島の対岸に到着、看板を見ると「つばきの館まであと1.5km」まだそんなにあるのか!力が抜ける。本当の真っ暗闇の中をひたすら歩いてやっとたどり着いたCP12 虎ヶ崎・つばきの館:207.4km、到着時間は午前4:40。ここでつごう3回目のカレーを頂く。チーム山口6人組がすでに到着しており「あれ、どっかで寝てたの?」と言われる。たいしてお腹も空いていないのでカレー小を頼むも、数名のランナーの注文が重なって案の定カレーの普通盛りが出て来た。それもアッツアツで速くは食べられない。その間にチーム山口においていかれてしまった。9年前に来たときは確か午前9時頃で、カレーを食べながらビールを飲んで正面に座った250kmランナーの方とおしゃべりを楽しんだ。食べ終わってそろそろ出発しようとしたところ、そのランナーさんに「もう間に合わないからオレはここでリタイアする」と言われ、驚いて食堂を飛び出した記憶がある。それと比べると今日はまだ13時間もある。残り43km、9年前よりは時間的余裕はあるがコンディションは今年の方が断然悪い、走れない。

f:id:kaimizu:20160504044146j:plain

つばきの館を出て時計周りに海沿いの自然探勝路を速足で歩くと、本格的に夜が明けてきた。周回を終えて池まで戻ってきたところでFさんとすれ違う、実に半日ぶり。「座骨神経痛が酷い」とのことで苦しそうだが、こちらもほとんど走れないのでそのうち追い付いてきてくれるはず。車道沿いコースに戻って、ガンガン走りたいところだが足指の激痛がそれを許さない。ちょっとペンギン走りをしてはガードレールに手をついてシューズを脱いでむくんだ右足を開放、また数十メートル進んでは立ち止まって右足開放。つま先を斜め前に向けてカカトから着地するペンギン走りのせいで、もはや右膝も崩壊中、痛みとともに腫れてきた。あー、なかなか前に進めずもどかしさばかりが募る。
そのときちょうど対向車線の歩道に見覚えのあるランナーが来た。CP5立石観音からCP4沖田食堂まで再度パンチを打ちに戻ったパネラーのTさんだ!あの悪天候の中、往復20kmも追加で走って、なお元気に走っている。もはや超人か。Tさ~ん、間に合ったんですね、と声をかけたら笑顔を返してくれた。ちょっと感動。

チーム山口は本格的に走り始めたのか、だいぶ前方にも姿が見えない。と、山口組の1人が歩き走りをしているのに追い付く。「ずっと膝裏が痛くてもう走れない」とのことで、二人でちょっとだけ走ってはまた歩いてを繰り返して前を追う。先ほどコーヒーを買ったローソンまで戻る手前を道路の石灰指示どおりに左折。そこから1kmほど直進して松陰神社北の信号を越えて小さな茶色い鉄の橋を渡り川沿いに左折。500mほどでCP13 金照苑:215.7km、到着時間は午前6:18。残すCPはあと1ヶ所、1km先にある。延々と坂を上ってそこから見下ろしたところにラストのCP14 陶芸の村公園:216.6km、到着時間は午前6:40。CP8 静ヶ浦キャンプ場だけ諸事情により空欄のままだが、これで全CPのパンチを無事に打ち終えた。ここのエイドは午前7時からでまだ開いていないため、とりあえずペットボトルに水だけもらった。

f:id:kaimizu:20160504061928j:plain

f:id:kaimizu:20160504064004j:plain

残されたミッションは、ただひたすら往還道を進んで制限時間内に瑠璃光寺まで生還すること。残す距離は35km、制限時間は11時間以上。普通に考えれば余裕だが、まともに走れないことを考慮すると3km/時間のペースでは33kmしか進めず関門アウト。まだまだ安全圏とは言えない。実際この後、予想をはるかに超えた苦しみが待っていた。(次で終わるつもり)

2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その3

日置エイドで今後について思案中。問題点をまとめると、寒い、眠い、足指が痛い、関門時間の4つ。寒いのでここに留まって雨がやむのを待つか、しかしその前に体が冷え切ってしまう可能性大。痛いのは、もはやどうしようもない。関門時間は、今後更にペースが落ちることを考えると少しでも先を急ぐべき。眠気は、このまま放っておくとずっと苛まれる可能性がある。このエイドへの到着時間が午後1時半、周りのランナーによれば天気予報では午後6時までには雨はやむらしい。結論として、とりあえず10分間だけ目をつぶって仮眠した。体力や時間に余裕があればしばらく待って雨をやり過ごしてから走るという選択肢もあったが、これからどんどん足指は悪化していくだろうし、そうなれば制限時間を見る間に喰いつぶすだろう。あたりが暗くなれば更にスピードは落ちる。幸い10分間、目をつぶっていただけでも効果があったのか眠気は消えた。意を決して雨中に出ていく。いいエイドでした。日置エイドのおかげで先に進むことが出来ました。

コースは海沿いに出てひたすら平坦な国道191号線沿い、長門市内まで線路と平行に走る。相変わらず風がきつく、ゴォーっとくるたびに立ち止まってやり過ごさなくてはならない。「よくもこの嵐で大会が中止にならないな」と、あらためて「萩往還」という大会のすごさと自分たちが背負っている「自己責任」の重さを思い知る。そういえば日置エイドで誰かが「4月の桜道250kmも強風で中止になったけど、あのときよりもひどい天気だよ」と言っていたのが聞こえていた。
一応歩道はあるものの路面は荒れて傾斜しており、かなり水が溜まっている。もはやシューズ内も完全に濡れているのでよけてもよけなくても大差はないが、それでも気持ち的に水溜まりはよけて走りたい。結構交通量の多い車道で、たまに対向車が跳ね上げる水が顔まで当たる。ランナーとすれ違うのでスピードを落とそう、という発想は皆無のようだ。車内の運転手の目が「こいつら絶対おかしい!」と語っていた。確かに自分も車に乗っていたら間違いなくそう思うと思う。でも今は豪雨の中を足で走っている、現実として。

さすがに一人で歩き走りはつらいので、一緒にいたランナーさんに声をかけて併走させてもらった。山口県のWさん、萩市内在住で萩往還250kmを複数回完走されているとのこと。こんな豪雨の中、地図を広げる気にもなれないためコースを知っている方との併走は本当に心強い。単調な国道を正明市の交差点で右折してCP7 湯本温泉までの折り返しに入る。片道5km強、今の自分には長すぎる距離だ。Wさんと二人でトイレを探していたらGSがあったのでそこで借りることにした。聞いてみるとトイレは事務所内とのことで、濡れネズミの自分らが建物内に入るのは忍びないため諦めて出て行こうとしたら店員さんが「いいですよ、後で拭きますからどうぞ入って下さい」と、とても親切に言って下さった。そのうえ椅子まで貸して頂けたので、靴下を脱いで足指の状態を確認。先のエイドで巻いた絆創膏はとっくにふやけて外れていたのでテーピングで応急措置、それがベストとは思わないがそれしか選択肢がない。その際にキャップのつばから雨水がポタポタと床に垂れたが「どうぞ、気にしないで下さい」と優しい言葉をかけて頂く。多くの人に支えられていることをここでも実感した。
しかし、もはや右足小指がもう限界に近く痛みが半端ない。走れる時間が短くなってWさんとの差が徐々に開いていく。これ以上離されてはダメだ、なんとかする必要がある。今の自分に残っているのはもはや気合いだけ。「ここからCP湯本温泉までは何があっても歩かない!」と自分に誓ってスローペースながら走り始める。右足はまともに着地出来ないので、敢えてかかとから降ろす変則フォーム。すぐに右膝へのダメージが来て違和感が出るも無視。「痛みは無視出来る」これでいくしかない、だってそれしかない。Wさんの背中が大きくなり、やがてパスして他のランナーにも追い付いていく。なかなか見えてこないCPにじれるも、向かい側の歩道を行くランナーとエールを交わしながら少しずつ少しずつ前に進んでいく。右膝の違和感がやがて痛みに変わっていく。

f:id:kaimizu:20160503155437j:plain

やっとたどり着いたCP7 湯本温泉:144.6km、到着は15:54。パンチを押し終えた我々にスタッフが話しかけてくる。「すでに聞いているかもしれませんが、悪天候のためコースが短縮になりました。CP8 静ヶ浦キャンプ場には行かず仙崎公園で折り返しになります」とのこと。それを聞いて力が抜けた。コース短縮となると250kmは走らないことになる。それは悔しかった。でもその分、完踏の可能性が高まって安心感が生まれたのも事実。関門時間も繰り上がるのか、といった詳細説明はまったくなし。「仙崎公園で聞いて下さい」とだけ言われる。
いつのまにか長時間にわたって我々を苦しめていた雨は止んで、強風も収まりつつあった。コース短縮を知らされた途端に天候が好転するとはあまりにも皮肉というか、それでもどことなくランナー達の表情には余裕の笑顔が生まれ、全体に安堵感が広がっていた。とにかく今は仙崎公園に進んで情報を仕入れるしかない。CP湯本温泉に向かう対向歩道にFさんの姿が見えたので「コース短縮になりました」とだけ車道越しに声をかけた。
現金なもので、正明市の交差点までの戻りは短く感じられたが、それも長く続かず右折してから海に面した仙崎公園までの3kmは長く感じられた。仙崎公園到着が17:10、ここでも特に詳しい話はなく、通過時刻が記帳されたのみ。どうやら距離だけ12km短縮されて関門時間はそのままであることが分かった。やはりランナー達の間には何処となく安堵感が漂っている。ちょうど静ヶ浦キャンプ場で供される予定だったカレーライスが業者の方々によって仙崎公園に持ち込まれたところであった。「今から温め直します」というのをそこにいたランナー全員一致の「そんなことはしなくてもいいから今すぐ食べたい!」という意見によって、食券と交換でカレーが配られた。豪雨の中を生き残った結果、コース短縮というご褒美をもらって食べるカレーは、少し複雑な気持ちはあるものの美味しかった。

f:id:kaimizu:20160503171417j:plain

「こんな明るい時間に仙崎公園を出て宗頭に向かったことなんてないよ!」と興奮気味に語るWさんと宗頭文化センターを目指す。宗頭は第二の荷物引き渡し地点であり、食事・入浴・仮眠が出来る萩往還の最大にして最重要なレストステーションである。ここへの到着時間、ここでの過ごし方で250kmを完踏出来るかが決まると言われている。一般的には完踏するためには3日目の午前0時までの到着が目安らしい。仙崎公園から宗頭までは12kmなのでこのままいけば我々はかなり余裕を持って到着出来る見込みであった。
海沿いの道を進んで行き止まりを右折、そこから少し進んでまた右折してすぐ鋭角に左折、資材置場のような未舗装路を少し進んで右側の踏切を渡るとやっとまともな道路に出る。この区間は初めてのランナーにはかなり分かりづらい。ましてや夜だったらどうだろうか。コースを知っているWさんとの併走で本当に有り難かった。歩き走りを繰り返しているとWさんが振り返って民家の庭を指さす。見てみると背の高い庭木が真っ二つに折れていた。今日の強風のせいであることは間違いない。木が折れるほどの風だったのか。確かにこちらの気持ちも折れかけるほどのすごい風ではあったが。
途中にあった私設エイドで休息し、ローソンで食べ物を補充、あと4kmほどの宗頭がまだ見えてこない。日が暮れてあたりが夕闇に支配され始める。精神的にかなり苦しい時間帯が続く。「いま、世界のどの場所よりも行きたい場所、それは宗頭」と心の中で何度も繰り返す。Wさんに「まだですかね、そろそろ見覚えのある景色じゃありませんか」と聞いてみるも「こんなに明るい時間に走ったことないから覚えてないよ」と返される。
そしてやっとそれらしきものが遠くに見えてきた。赤い点滅灯、間違いない。萩往還という砂漠に存在する伝説のオアシス、宗頭文化センター:176.2km、到着は19:30。

預けていた荷物を受け取り、オニギリと味噌汁を頂く。畳敷きの食堂はそれほど混んではいない。初めて来たのでとりあえず建物の中を散策。お風呂も思ったより混んでいないし、お湯もまだきれいに見えた。入るか、誘惑に駆られる。いや、入ったら湯冷めして風邪をひきそうだ。結局、預けていたウェアに着替えるだけにとどめた。脱衣所で体をタオルで拭き、Tシャツ、下着、短パン、靴下を新しいものに変えた。新しいTシャツに付け替えたゼッケンは、すでに一度洗濯されたようによれよれだ。足指のテーピングを少しだけ補強。携帯の充電も完了。なにかを預けてザックを軽くすることが出来ればよいが、これから厳しい二晩目を越さなければならず、減らせる荷物は無い。

f:id:kaimizu:20160503193608j:plain

そこでギョッとした。命の次に大事なチェックシートが見当たらない!首のまわりを慌ててまさぐるも指が空を切る、チェックシート入れの紐が無い!たしか脱衣場で体を拭いた際に外して脱衣棚に入れたはず。慌てて脱衣場に飛び込んで探すが、その棚はすでに他のランナーの荷物で埋まっている。チェックシート入れの裏には事務局がゼッケン番号と名前を貼り付けてくれているが、疲労困憊したランナーはそんなものをいちいち見ないだろう。誰かの着替えに紛れ込んだらもうゴールまで見つからないだろう。あー、終わった、萩往還。宗頭で突然終わった...頭を抱える。事務局にお願いしてアナウンスでもしてもらおうか。
待てよ、急いで自分の荷物まで戻って着替えを入れた預け袋をひっくり返してみたら...あった!命の次に大事なチェックシートが。急いで首にかけた。もう絶対に外さない、誰にも渡さない。滅茶苦茶焦った。今回はスタート前にも携帯を一時なくして焦った。もっと冷静かつ慎重にならなくては。と言っても、すでに24時間以上起きているので注意力は更に散漫にならざるを得ない。とにかく見つかってよかった。安堵感でどっと疲れが出た。腰が抜ける思いだった。

宗頭出発の前に、別棟の体育館を覗いてみると大勢のランナーが毛布にくるまって仮眠をとっていた。電気はこうこうと点いており、スタッフがひっきりなしに出入りして騒がしいが、疲れ切ったランナー達はそんなことはまるで別世界のことのように眠っている。皆さん、どれくらいの時間眠るのだろうか。日置エイドで10分間目を閉じただけでも楽になったことを思い出し、自分もまた10分間だけ眠ることにした。毛布の山から2枚引っ張り出して、1枚は床に敷き、もう1枚を体にかけ、携帯タイマーを10分間に合わせて寝てみた。目を閉じて意識を失った直後にタイマーが鳴り、こうなればあと1時間くらい眠るか、と一瞬考えるも「いやいや」と思い直して起き上がる。日時はちょうど5月3日の午後9時。ゴール地点まであと75km、持ち時間は21時間。普通に考えれば安全圏ではあるが、これから夜間走に入り、登りも多い。お化けが出る区間もあるらしい。そもそもコースもよく分かっていない。最後、萩市内からゴールまでの往還道は山道できつい。往還道を終えて残り3.5kmになるまで何が起こるかわからず、決して油断も安心も出来ない。

f:id:kaimizu:20160503204134j:plain
毛布を返却し、スタッフの方々に御礼を言って外に出る。思いのほか寒い、でも行くしかない。

 

 

(まだまだつづく)

2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その2

午前6時前に海湧食堂を出ると、ものすごい強風で押し戻されそうになる。ザックからモンベルのウインドジャケット(ペラペラの軽いウインドブレーカー)を引っ張り出して着込む。寒がりの私でも昨晩は着ずに済んだけれど、今日一日はお世話になりそうだ。海沿いの車道脇の歩道を登っていたら20mほど前にいた女性ランナーの帽子がものすごい強風のせいでこちらに飛ばされてきた。とっさに足を出してしまったがそれも届かず、慌てて追いかけてなんとか取り押さえる。私がいなかったら海まで飛ばされていたと思う。女性に手渡すと「おかしぃー!」と笑いが止まらない様子。私はちっともおかしくなかったが、一晩完徹していきなりこんな強風にさらされて、精神的に少しハイになっているのかもしれない。とにかく風が強いので、ちょっと走っては歩く、の繰り返しが続く。一気にペースが落ちた。CP2で足指のテーピングを巻き直したがそれが厚過ぎたのか、右足シューズ内がきつく感じられて違和感ありあり。でも今更テープは外せない。こんな強風の中、立ち止まってなにかを為すこと自体が無理。左側に目をやれば、海の景色が素晴らしい。晴れていればもっと素晴らしいのだろうが、今は空一面を不吉な雨雲が覆っている。この不吉な雨雲から逃げたいところだが、むしろその方向に進んでいる。

海湧食堂までは海沿いに南から北上するコース、食堂で左折して西進、ちょうど油谷湾を陸地がコの字型に囲っている風光明媚な景勝地。久津港分岐点の右側の道はきつい登りで「あれを登るのか」と一瞬滅入ったがコースに石灰で左折して下るよう表示してある。ラッキー!とばかりに下って民家を越えると港に出た。農協のある三叉路を右へ進むとCP4の沖田食堂に出る。けれどもその前にCP3俵島の周回コースが待っているので左へ進むと、周回コースの往復道となりランナーがすれ違う区間になる。小雨の降りしきる中、一人黙々と俵島に向かっているとポツポツと早々に俵島周回を終えたツワモノ達が戻ってくる。みんなすれ違う際に声をかけてくれたり、目を合わせて「ファイトです!」という視線や笑顔を送ってくれる。これが本当に嬉しい。みんなライバルではなくて同じ戦いに挑んでいる仲間なんだ、と思わせてくれる。
寒くてノドも乾いていないため大浦港の私設エイドは笑顔でパス。いよいよ俵島周回に入ると車1台がやっと通れるくらいの狭い登りが始まる。とても全部は走れない。「いいね、いいね、やっとウルトラらしくなってきた」と内心喜んで歩き走りを繰り返す。ここのCPは無人で見落とし易いらしいため、左右に視線を配りながら注意して進む。前にいたランナーさんに聞いてみると「まだなかったと思いますよ」と言われてちょっと安心。その前方のランナーさんも同じ回答。二人をやり過ごしてしばらく進むと道路脇に「萩往還マラニック」の緑の幟が風にたなびいており、果たして無事にCP3 俵島を発見。98.5km地点の到着時間は午前7:28。チェックシートにしっかりとパンチ跡が残るように渾身の力で握る。

f:id:kaimizu:20160503072824j:plain

ご存知の方も多いでしょうが、14箇所あるCPのパンチは一つ一つ形が異なっている(おそらく不正防止のため)。確かに単なる穴じゃ自分で開けられるから。それだけにしっかり正しくシートに穴が開いたかを確認する必要がある。
そこから少し行った展望ポイントで一緒にいたランナーさんに本物の俵島をバックに写真を撮ってもらう。本物、というのは実は我々が走っているのは油谷島という島で、その先にある海に突き出た小山が本物の俵島である。しかしながら萩往還ではもはや油谷島が俵島と認識されており、「俵島周回」とか「俵島チェックポイント」と呼ばれている。「昔からそう呼んでるから今更変えられないよねぇ(笑)」とそういえば誰かが言っていた。

快調に俵島周回を終え、往復道を戻りながらすれ違うランナーの中に見知った顔を探していると千葉県のAさんを見つけた。この方、私のウルトラの師匠の師匠みたいな存在で過去いろんな大会でお会いしている。お年は60歳代半ばながらもとにかく強い。「お久ぶりです~、というか4月の彩湖70kmでもお会いしてますけど」と立ち止って話しかけたら、「おー、いいからどんどん先行って!」と発破をかけられた。農協三叉路まで戻って左折、暑ければ農協で何か買ってもよいのだろうが、相変わらず雨が降っているのでそのままパスして前へ進む。ここからきつい坂が始まるが上りはなんなく走れる。問題は下り。すでに右足の指全体に違和感というか窮屈感あり。ここで福岡県のWさんに再度追い付いてパスさせて頂く。前日のセミナーで「不調こそ我が実力」とおっしゃっていたパネラーのTさんにも追い付く。「お話、爆笑させて頂きました」と話しかけてみたらいろいろ裏話を教えてくれました。更に前を行くと、今度はワラーチ(サンダルみたいの)で走っている女性を発見。「よくもそんなシューズ(と呼んでいいのか?)で250km走れますね」と内心驚きを隠せない。話を聞いてみると、ワラーチのメリットは「正しい姿勢で走れる」「かかとで着地しないので故障が少ない」「靴擦れやマメが出来ない」とのこと。2000-3000円の材料費で自作出来るらしいが不器用な私には無理そう。そもそも250kmも走っている間にヒモが切れたりゴム底が破けたらどうなるのだろうか。「高いシューズを買わなくてもよいのもメリットですよね」と聞いてみたら「それもありますねぇ~」とおっしゃっていました。沖田食堂への分岐直前でもう一人、今度は男性のワラーチランナーを発見。ペアで参加されているらしい。その男性は右手にレジ袋を提げて走っている。「なんで背負わずに、それもあんなにたくさんの何かを持って走っているのだろうか」と訝りながら近づいてみると、なんとその方は空き缶などゴミ拾いをしながら走っていた。す、すごい!ちょっと感動。次のCP沖田食堂で、手慣れた感じでそのゴミを萩往還スタッフに手渡していました。

分岐を左折すると下りの急坂が始まるが、もはや足指が痛くて下りは走らず歩く。もったいないくらい下りに下るとCP4 川尻岬・沖田食堂:107.8km、到着は午前8:37。とうとう100kmを超えた。ここは食事ポイントでカレーを頂く。萩往還250kmでは有難いことにつごう3回カレーを食べるチャンスがある。食堂にはランナーが10人ほどいて、そのほとんどがカレー&ビールを楽しんでいた。よくもまぁ、徹夜明けで雨中を走ってきてビールが飲めるねぇ、と嬉しく驚く。超ウルトラランナーってこんな人種が多い。

f:id:kaimizu:20160503083733j:plain

f:id:kaimizu:20160503084036j:plain

結局15分以上滞在してしまい、よっこらしょと食堂を出て急坂を登る。登り切った三叉路の自販機で水分補給をしていたら雨脚がものすごいことになってきた。強風と豪雨でまるで台風のようだ。いや、本当に季節外れの台風がやってきたのかもしれない。一気に濡れて寒い。ここで早くもフル装備となることを決心。雨の中、上半身脱いでファイントラックのインナー、それからTシャツ&アームウォーマーに手袋、モンベルウインドジャケット、そして今回の萩往還のために購入したモンベルトームクルーザー(雨具兼防寒着のゴア仕様)。4枚も着込んだ。しかしストームクルーザーはすごい。横殴りの雨もなんのその、まったく水を通さずはじきまくる。さぁ、かかってこい!と思った矢先にものすごい強風で前に進めなくなる。よろけて側道に叩き落とされたらまずい。うわぁ...ゴメンなさい、と後ろ向きになって強風をやり過ごす。
とりあえずこの時点で持てる装備は出し切った。本日の装備は、あとは現金、クレカ、ナナコカードセブンイレブンが多そうなので)、保険証。ティッシュペーパー、非常食(スポーツ羊羹2本)、眠気覚ましのガム(クロレッツの黒)とアメ。ワセリン、テーピング、キズパワーパッド、絆創膏(大)。リップクリーム、予備コンタクトレンズ、予備ピン、洗濯バサミ(全く使わなかった)。iPodシャッフル、ヘッドライト、点滅ライト(赤)、指ライトとそれぞれの予備電池、USBバッテリーは旧油谷中から持参。ショルダーハーネスの右に携帯、左にボトル、右脇ポケットに100均の折り畳みカップ(多数のランナーが同じものを携帯していた)。コース地図はジップロックに入れて持参、命の次に大事なチェックシートは大会から配布された紐付きビニールカバーに入れて首から下げておいた。雨具をザックの上から着ていた=ザックを雨から守っていたランナーが多かったが、自分は飲み物や携帯がすぐ取り出せないので真似しなかった。おかげでザック内もかなり濡れたがすべての持ち物をジップロックに入れてあったのでセーフだった。携帯電話もかなり濡れたけれど一応防水らしく最後まで大丈夫でした。

さて、川尻漁港までの下りはとんでもなく傾斜がきつい。港がはるか下方に見える。パネラーのTさんがスキーで滑降するようにものすごい勢いで下ってあっという間に豆粒になった、すごい。自分も足が生きていれば気持ちよく駆け下るんだけどなぁ、と負け惜しみを言いながらえっちらおっちらと足指をかばいながら下る。コースがまったく分からないので前方のランナーが視界から消えない程度のスピードを維持して前に進む。川尻漁港に下り着いたとき、一瞬デジャヴ感覚に襲われる。あれ、ここって俵島周回前の大浦港では...ちょうど同じような場所に私設エイドがあり思わず「さっき違う場所にいませんでしたか?」と聞いてしまった。「私たちずっとここに居ますよ(笑)」と言われる。これも徹夜ランのせいか。でも後戻りしたわけではないことが分かって安心。そこから強まる雨脚の中、痛む足指をかばいながら黙々と前進。進行方向に大きな岩が見えるとそれが目指す立石観音。CP5 立石観音:117.8km、到着が午前10:20。

f:id:kaimizu:20160503102645j:plain

f:id:kaimizu:20160503102614j:plain

小さな売店が開いているが特に買いたいものは無い。ランナーは雨を避けるため漁港建物の下に避難している。雨脚は強くなる一方で、みんな無言。苦笑いで顔を見合わせるだけ。私設エイドがあるので「何か温かいものありませんか」と聞いてみたが、「ごめんなさ~い、これからお湯沸かします」とのこと。そうですよね、まさかここまで天候が悪化するとは思ってませんでしたよね。仕方なく自販機でホットの缶コーヒーを買う。
と、そのときちょっとした事件が。パネラーのTさん曰く「CP4の沖田食堂で押したはずのパンチの跡がシートに残っていない」とのこと。「しっかりと力を入れて押さなかったみたい...」あまりの出来事に一同言葉を失うが、Tさんは「今から沖田食堂まで10km戻ってもう一回パンチしてくる」と来た道を戻っていった。「Tさんならいける!」と別のパネラーさんが後ろから叫んでいた。でもこんな雨の中、往復20km走れるのだろうか。相当の体力と精神力が無いとやってられないはず。我々はただTさんの後ろ姿を見送るしかなかった。

なんだか気分が沈んだまま、とぼとぼと前進する。突如「頑張ってくださ~い」と傘を差して応援してくれる沿道の人に声をかけられるが、濡れネズミのまま苦笑いしか返せない。これは気分一新するしかないな、と思って眠気覚まし用に持参したiPodシャッフルを取り出してPower of Musicに頼ることにする。音楽を聴きながら口ずさみながら快調にランニングを再開。何人か、先行するランナーをパス、今まで走れなかった下り坂も快調に飛ばす。
と、そのときいきなり右足小指にものすごい違和感が走る。グジュッ!とまるで大きな毛虫を裸足で踏みつぶしてしまったような(実際踏んだことはないが)、突然なにかが指からすっぽ抜けたような感触がきて、そのあと激烈な痛みが全身を雷のように突き抜ける。ぐはぁぁ!という叫び声がノドの奥から飛び出して、スピードにのって下っていた坂の途中でもんどりうって倒れそうになる。雨の中、立ち止まったままマジで涙が出て視界がかすんだ。

どれくらい立ち止まっていたか分からないが、前方に私設エイドが見えたのでとりあえずそこまで歩く。椅子を貸して頂き右足シューズを脱ぐと、すでに靴下が赤く染まっていた。やはり毛虫を踏んだわけではなさそうだ。おそるおそるソックスを脱ぐと、右足小指のテーピングが血と体液でベトベトになっている。無理にテーピングを剥がすと爪と皮が一緒に剥けてとんでもないことになりそうなので、ハサミを借りてテーピングを切って慎重に剥いでいく。ちょっと剥ぐたびに背中に稲妻的痛みが走り声が出てしまう。どうやら血豆が破裂して指の皮全体が爪ごと剥けかけている。まるで脱皮中の昆虫のようだ。
どう処置すればよいのか途方にくれていると、エイドの方が「まず消毒しましょう」と消毒液を貸してくれた。こちらから「小さな絆創膏ありますか」と聞いてみると何枚も提供してくれた。それを消毒した脱皮中の小指に巻いていく。今ここで再度テーピングするよりマシなような気がした。
一連の処置を終えて、びしょ濡れの靴下を履き直す。痛い、はぁはぁ言いながら履く。こんなことで走れるのだろうか。その間にもどんどん後続ランナーに追い抜かれていく。しばらく考えた結果、これ以上いま出来ることはないとの結論に至った。痛みを無視して前に進むしかなさそうだ。痛みは耐え難いほどだったけれど「もう駄目だ」とか「リタイア」とかいう発想にはまったく至らなかった。とりあえず温かい味噌汁を頂いて御礼を言ってエイドを出た。しかしなんでもあるエイドだった。このエイドがこの場所になかったら間違いなくもっと悲惨なことになっていたと思う。感謝してもしきれないほどでした。

もうここからはひたすら歩く、それも右足を引きずるようなかなり遅いスピードで歩きながら戦略を練り直す。目標を48時間内完踏に切り替える。冷静に考えれば時間の余裕はまだある。予報によれば雨は夕方までには止むらしい。足指は回復はしないだろうが、これ以上悪化させないよう下りに気を付けるしかない。幸い、上りは走ってもあまり痛みを感じない。
とぼとぼ歩いて萩往還屈指の難所、千畳敷へのアタック地点に到着。左折すると確かに見上げるような坂だ。たとえ足指に問題がなくとも、雨が降っていなくとも、走って上るには傾斜がキツ過ぎる。よろよろと上る間に、同じく歩いている後続ランナーに追い抜かされる、あー、やるせない、本当は今頃気持ちよく走っているはずだったのに、内心惨めだった。

f:id:kaimizu:20160503122139j:plain

CP6 千畳敷:125.4km、到着が12:20、距離的には全行程のちょうど中間地点にあたる。とりあえずパンチのあるところまで歩こうとするも、高台で風を遮るものがないためなかなか前に進めない。下りてきたランナーさんが「パンチ押すの大変ですよ」と教えてくれた。確かにチェックシートが風で飛ばないように片手で押さえつつ、それにパンチで穴を開けるのは非常に難しかった。風が一瞬弱まったタイミングを見計らってパンチング。Tさんのこともあるのでしっかりシートに穴が開いたことを何度も確認した。強風に押され転がるように千畳敷を出て、きつい下りの車道沿いをよろよろと歩く。そこで俵島周回で一緒だったランナーさん(ウェアの色から赤系ランナーさんと呼ぶ)に追い付かれ、つかず離れず進んでいく。右からの横風がものすごく、よろけて思わず道路の縁石に乗り上げるが、更に横に一二歩いったら「さようなら」となる斜面の存在に気付いて焦る。慌てて車道寄りを歩く。どうせこんな天気ならば車なんて来ない。下りでは赤系ランナーさんに引き離されるも、平地に下りてからはぴょこぴょこ走りでなんとか追い付く。結局ここから長門市内までの15kmくらいが一番風雨の厳しい時間帯となった。ちょっと前に進むとものすごい向かい風、ないしは横風で踏ん張らないと倒れそうになる。横風が叩きつけてくる雨粒が顔に当たると猛烈に痛い。まるで至近距離から豆か小石でも投げつけられたような痛み(投げつけられたことはないが)だった。周りのランナーは皆さんしっかり全身をウェアでカバーしていたが、私は上半身は完全防備ながらも下半身はユニクロ短パンのみで太ももから下は素肌のまま。ここに雨が当たっても痛いし、何よりも寒い。「低体温症に気を付けて」と赤系ランナーさんに言ってもらうがどうしようもない。つくづく旧油谷中学校でタイツを持参しなかった自分の判断が悔やまれる、というか自分の甘さに憤りさえ感じた。こんな大事な大会で、装備のこともよく考えず、天気予報もろくに調べず、シューズにしてももっと履き慣れたもの、サイズの大き目のものを準備すべきであった。準備さえしっかりしていれば、今頃(たぶん)快調に萩往還コースを走り続けていただろうに。

と、左側の建物から急に呼び止められるとそこが日置(へき)エイドだった。大雨でエイド前を閉め切っていたため気付かなかった。声をかけてもらわなかったらそのまま通り過ぎていたかもしれない、助かった。通過時刻を記帳してもらい、裏の休憩場所に移動してカップ麺、ドーナツ、ホットコーヒーを頂戴した。震えるような寒さの中、雨露しのげる場所で頂いたカップ麺は心底美味しかった。食べ終わってすぐに暴風雨の中に走り出る気にもなれず、かといって温まろうにも下半身はずぶ濡れで止まっているとむしろ冷えてくる。ここにきて強い眠気が何度も波のように襲ってくる。右足小指は相変わらず痛い。ここでしばらく留まるべきか、意を決して少しでも早く出発すべきか、しばらく悩んだ。その間にも他のランナーはさすがはツワモノぞろい、短時間で食事を終えると何事もなかったかのように暴風雨の中に戻っていく。どうすればいいのか、自問自答を繰り返す。

(まだつづく)

2016年5月 山口100萩往還マラニック 250km:その1

萩往還」は国内のウルトラランナーにとって特別な意味・響きを持った言葉であり、いろいろな意味で間違いなく国内最高峰のウルトラ大会です。歴史を紐解くと平成元年に70kmと35km大会からスタート、そのときの参加ランナー総数は331人。今回第28回は250km、140km、70km、35km歩け歩けで総勢2,132名がエントリー。日本全国47都道府県でエントリーが無いのは岩手県沖縄県のみ、と参加者が実に広範囲に渡っています。最長250kmを48時間以内に完踏(完走ではない)というとてつもない距離と時間の設定もすごいのですが、そのエントリーを年代別に見ると、20歳代:1名、30歳代:33名、40歳代:167名、50歳代:190名、60歳代:118名、そして70歳代:9名。なんという支持層の広さ、というか平均年齢層の高さ!(250kmのエントリー代が3万8千円と高額なこともありますが)。一度走ってしまったら病みつきになってしまう、リピーターによる支持が絶大で歳を重ねても参加し続けたい、それだけ素晴らしい大会であるということが分かります。

f:id:kaimizu:20160411215749j:plain

私が初ウルトラを走ったのが2005年の富士五湖UM、それ以来ウルトラマラソンにハマっていろいろな大会に参加しました。そこで知らされたのが「萩往還」という別格の大会の存在。とにかくとてつもない大会で、素人ランナーなど到底お呼びでなく、真のウルトラマン達だけが走れる大会、そんなイメージを刷り込まれました。どこかの大会で白地Tシャツの背面首元にスカイブルーのゴシック体で「萩往還」と書いてあるのを目にすると、思わずそのランナーに向かって頭をたれるか手を合わせて拝むか、「いつか自分もあのTシャツを着てみたい」という夢を抱き続けてきました。

そのチャンスがやってきたのが2007年、まず140kmにエントリー。完踏するために18時間走の大会に出て準備した甲斐もあり、なんとか無事完踏。ただし、よほどきつかったのかいつも備忘録のために書く完走レポートが書けていない(おそらく唯一の大会)。夜を徹して走った、あの真っ暗闇の往還道がきつ過ぎて朦朧としてしまい、ほとんど記憶が残っていなかったのかもしれません。あまりの疲労に完走後の晩の飲み屋で寝落ちした記憶があります。

その後、引っ越しやら子育て(いまだ真っ最中ですが)やらで忙しくなり、海外転勤も決まって萩往還のことは忘れかけていました。しかし2014年に帰国してから大阪のラン仲間が萩往還に出走することを聞いて250kmへの熱い想いが再燃。15年の8月に無事申し込みを済ませ、佐渡島206kmを越える自身最長距離への挑戦権をとうとう獲得しました。 

f:id:kaimizu:20160502120006j:plain

だいぶ前置きが長くなりました。

さて、2016/5/2(月)レース当日の早朝に大阪から山口に移動。新山口からの電車内で萩往還ランナーの皆さんとおしゃべりで盛り上がる。同じく大阪から来たTさんに駅から受付場所である瑠璃光寺(松籟亭)まで同行させて頂き、無事受付完了したのが正午過ぎ。もらった「うどん券」を使って昼食を済ませ「萩往還マラニックセミナー」会場である山口県教育会館に徒歩で向かう。午後1時からのパネルディスカッションは参加自由で、過去の完踏者5名のおもしろ真面目な基調講演を伺う。人選が絶妙でためになる話あり、また爆笑ネタもあり、かなり笑わせてもらいました。印象に残った言葉が2つ。「不調こそ、我が実力」(桜井章一)、「痛みを無視しろ」(ランボー)。特に後者は普段から自分が言い続けていることなので共感出来たのですが、今回の大会で痛みを無視したらどうなるかを激しく思い知り、今は少し考えが変わっています。

f:id:kaimizu:20160502131904j:plain

セミナー後、午後3時からは出走者参加必須の説明会あり会場は満員。ここで命の次に大事な「チェックシート」がやっと配布される。大会会長さんから細かなルール説明があり、質疑応答やらあって説明会終了が4時過ぎ。「午後5時にはここを閉鎖します」と言われ、Tさんと2人で慌てて出走準備をする。ちょっと時間がなさ過ぎる。だから皆さん説明会に集まったときにはすでに出走準備を終えた格好をしていたのか。着替えて、ゴール地点に預ける荷物、旧油谷中と宗頭に送る荷物、背負う荷物の仕分けでもうバタバタ。いつの間にか携帯電話が見当たらない。コース地図をDLしてあるのであれがないと心細いし、写真も撮れないし、途中経過も発信出来ない。どこかで落としたのか、廊下やトイレを走り回って見渡し、係員さんに聞いてみたらマイ携帯電話が届いていた。あー、危なかった。走る前から焦った。

f:id:kaimizu:20160502142636j:plain

f:id:kaimizu:20160502172323j:plain

急いで移動して預ける荷物は洞春寺、搬送荷物は長州苑前へ。そこで同じ会社のH野さんと出会う。彼は3日スタートの140kmに参加。午後5時半過ぎにスタートの列に並んでから前後に点滅ライトと反射ネームプレートを付ける。これは毎年配布されるもので、何個もくっつけている=複数回出走ランナーもいる。スタートは午後6時、あー、気持ちが盛り上がってきた、ワクワクしてきた~!と言ってる間にウェーブスタート開始、一人一人ゼッケン番号の確認がある。4番目のグループで瑠璃光寺を出発したのが6時13分くらい。沿道の皆さんが大声援で送り出してくれるのが嬉しい。

f:id:kaimizu:20160502175941j:plain

まず目指すはCP1:豊田湖畔公園 58.7km。250kmでチェックポイントは計14ヶ所もあるのに最初のCPまで58.7kmもあるなんて。「もっと前にチェックシートにパンチ押したい」とつぶやくと、同行のFさんから「それは無理やね」とたしなめられる。コースは単調な川沿いの道で右側が線路。あたりが暗くなってきて上郷エイド到着が19:35、飲み物とパンくらいしかない簡易エイド。駅のトイレは長蛇の列で諦めた。そこから右折して少し登るが全然走っていけるレベル。右側にあるセブンイレブンのトイレを借りたので、Fさんと一度別れる。そこから少し追い上げたつもりがなかなか追いつかない。そもそも皆さんスタートからハイペースでキロ6分くらいで飛ばしている。イーブンでいきたい自分からすればどう考えてもオーバーペース。このままのペースで最後まで行けるとは到底思えない。明日3日の天気予報が大荒れらしいので(このときはそんなことになるとは信じていなかった)天候が安定しているうちに飛ばしているのかもしれないが、正直ついていくのが少々つらかった。やっとFさんに追い付いて知り合いの女性と3人で併走、湯の口エイド:21.8km到着が20:35。ここも簡易エイドで最初は「私設エイド?」と勘違いしたほど。ドリンクもらって何かを口に放り込んですぐに出発した。

走るまでは「道を間違えないように分岐ごとに地図をチェックしなくては」と考えていたけれど、いざ走り出せば前後にランナーは大勢いて、みんなが点滅ライトを点けているためコースアウトの心配はまず無い。下郷駐輪場エイド:27.8km到着が21:23、「あれ、もう着いちゃったの」という印象。気候はちょっと涼しくて走るにはちょうど良い。このエイドでKさんと再会。立山マラニック以来10ヶ月ぶり。今回8回目の萩で初完踏を狙う!と静かに燃えていらっしゃいました。
簡易エイドが続くので「もうちょっと目が覚めるような豪華エイドが出て来ないかなぁ」と我がままを言っている間に美祢高校前エイド:32km地点に到着。ここもまた簡易エイドですぐに出発。はちみつレモンは食べたが、肝心のコーラをもらい損ねた。その先のポプラでまたトイレ休憩、前後ランナーさんと少しおしゃべりしながら進むと、やっと豪華エイドである西寺交差点エイド:44kmに到着、時間は23:30。スタートから5時間強でフルの距離を超えた。かなり良いペース。腰を下ろしてコーヒーやコップ入り素麺、菓子パンなど頂いて腹ごしらえ。やっと満足しましたよ。ここまで特にトラブルもなく順調。コースはアップダウンほとんどなく単調。もうすぐ日付が変わる時刻でさすがに気温が下がってきたため、アームウォーマーを装着。これってほんと便利。
今日の装備はランキャップ、片手でサイズ調整出来るタイプなのでこのあと何度も強風にあおられた際に大変役立った。上は着古したモンベルのハーフジップTシャツ、下がユニクロのハーフパンツ。ソックスは履き古したX-SOCKS、シューズはアシックスのDSトレーナーワイド。タイツは迷ったけれど履かずに旧油谷中学校に送った。

気持ちよくエイドを出て再合流したFさんと一緒にうねうねした道を登って下る。さすがにここにきて少し疲れたのか、この区間は初めて長く感じた。目安となる鋭角に曲がるカーブが出て来てほっとする。こんな寂しい場所に真夜中に一人で立っている係員さんはさぞかし大変でしょう、「ご苦労様です」と感謝の言葉をかけて大きく右折。ちょっと進むとオレンジ色に光るトンネルがある。特に意味はなかったけれどトンネル内で「ワッ!」と大声を出してみた。そこから少し進んで右折するとCPへの道で、多くのランナーとすれ違う。すでにこれだけの数のランナーと30分ほど差がついたことになる。トイレに寄ってからCP1豊田湖畔公園 58.7kmにて初めてチェックシートにパンチを押す、というか係員さんが押してくれた。到着時間は午前1:25、通過時刻記帳(全部で9カ所)もありそこで確認した順位は150番くらいだったか。ここでチェックシートに付随している食券を切り離して渡す。うどんとアンパンをもらい、水分補給のつもりがうす~い麦茶しかないためスポドリの入っているペットに入れることも出来ず仕方なく3杯ガブ飲みした。アンパンは食べられずとりあえずザック内に収納。ここで昨年9月のしわいマラソンでご一緒した広島県のMさんと遭遇。汗さえかいておらず爽やかな様子に驚く。「全然疲れてなくてまるでこれからスタートするみたいですね」と声がけしたら笑っていらした。20分ほど滞在して出発。しばらくの間、右側に暗い湖を望みながら下る。

f:id:kaimizu:20160503012609j:plain

俵山温泉エイド:67.1km到着が午前2:44。ここのエイドにはストーブがあって嬉しい。そしてやけにドリンクが豊富で、コーラ飲んでファンタ飲んでCCレモンまで頂いた。なんだか調子が出てきたのでいったんFさんとお別れして先行、単独走に切り替える。とうとうきつめの勾配、砂利ヶ峠(じゃりがたお)が登場。走って登れなくもないがまだまだ先は長いため、無理せずここで戦略的歩きを入れる。ピークに到達したところで下りはペースを上げて走る。周りにランナーがいなくなり文字通りの単独走。午前3時を過ぎてこんな人気の無い道路をザックを背負って孤独に走るなんて正気の沙汰ではないね、となんだか嬉しくなる。と、いきなり左側から声をかけられてビックリ、大坊ダムにある私設エイドだった。

f:id:kaimizu:20160503024428j:plain

ちょっとだけおしゃべりしてそこから3kmほどかっ飛ばして新大坊エイド:79.8km、到着が午前4:26。一晩目はなんとか超えたかな、と一安心。ここで湯豆腐を頂いた。醤油をかけて食べると無茶苦茶美味。ずっと甘いものばかりだったので本当にしみじみ旨かった。横に明太子ソースとフランスパンがあったので食べてみたが、若干パンが湿気ていて残念。豆腐に明太子ソースをかけている人がいて、それが意外に美味しそうだった。空腹は発明を生む。それにしても風がものすごくてテントが飛ばされそう。係員全員で立ってポールを押さえていた。我々ランナーのために本当に有難うございます。

f:id:kaimizu:20160503042645j:plain

f:id:kaimizu:20170514092137j:plain

さて、エイドを出て左折。大江の交差点を右折して油谷大橋を渡ると左に海が見えてくる、日本海じゃないですか、かなり感動。明け方で周りが見えるようになってきた。新大坊から福岡県のWさんというランナーさんと併走、萩往還は複数回完走しており、走りながらいろいろ教えて頂く。「いつのまにか私も萩往還の走り方を人に語る側になったんだなぁ」と笑っていらっしゃいました。この区間、少しきつい上りがあるもWさんが歩かないので自分も頑張って走り続ける。「どっち先に行く?」とWさんに突然尋ねられて目を凝らすと右側に海湧(うみわき)食堂発見、ここは食事ポイント。しかしその前に200m先のCP2の旧油谷中学校に寄らせてもらう。

f:id:kaimizu:20160503052548j:plain

と、不吉なバスが我々を追い越して校庭に停車。どうやらリタイアランナーを乗せたバスらしい。この地点でリタイアは悔しいだろうなぁ。そしてCP2 旧油谷中学校:87.1km、到着は午前5:25。通過時刻を記帳。荷物を預けていないWさんに先に食堂に行って頂き、自分は荷物を受け取るために廃校内へ。シートを敷いてすでに仮眠しているランナーがいた。荷物はバッテリー、ジェル、タイツ、テーピング用テープと絆創膏。ジェルとタイツはそのまま返却した(これは本当に失敗だった)。靴下を脱いで足の状態を確認。完治していない右足小指の状態がすでに怪しい。厚めにテーピングし直す。親指母指球には新兵器「BAND-AIDキズパワーパッド」を予め貼り付けてあったのでダメージ小。でも靴下脱いだらキズパワーパッドがくっついて一部剥げてしまった。うーん、勿体ない。結局両足の処置にだいぶてこずり、海湧食堂に入ったときにはもうWさんはいなかった。牛丼とうどんの二択、もちろん牛丼を選択して急いで食べて外に出るも風が無茶苦茶強くてまともに歩けない。そしてとうとう雨までポツポツと降ってきた。あー、晴れ男パワー発揮出来ず、天気予報が的中してしまった。科学の力の前に人間は無力だ。というか自然の力か。これから予報どおり嵐になってしまうのか。二日目の朝を迎えて急に足が前に出なくなってきた...(つづく) 

2016年4月 戸田・彩湖ウルトラマラソン 70km

彩湖ウルトラマラソン70kmに参加。

東京に住んでいたとき、確か2007-10年まで4年連続で走ったはず。

f:id:kaimizu:20160409071304j:plain

今回は萩往還練習も兼ねて、寝不足で走ってみるべく夜行バスで行ってみた。というのは半分ウソで、直前で東京出張をキャンセルせざるを得ず、結局自費で行くべくコストと時間の関係上、夜行バスになってしまった。

夜行便や夜行バスではほとんど眠れないタチなので狙い通りに寝不足で現地入り。会場で会社のラン仲間や昔のお知り合いに久しぶりに会うことが出来ました。

スタートは午前8時、コースは彩湖周回4.652km×15周+200m。基本フラットですが小さなアップダウンが3箇所。エイドは2カ所。天気は晴れ、暑くなりそうな雰囲気。ランシャツがいーかなー、と思うも最近会社が作ってくれたユニフォーム着とかないとなー、ということで半袖Tシャツとランパンに決定。

本日の目標タイムはサブ6、欲を言えば70km×5分=350分切り。

スタートから4分50秒/kmペースで走り出す。20kmが1時間37分、30kmが2時間27分。ここまでは順調だったが8周目あたりからペースが落ち始めてキロ5が怪しくなってくる。フルの通過がちょうど3時間半くらい。

昼には気温が上がってかなり暑い。半袖Tシャツは失敗だったかも。そのせいもあるのか左肩がひどい肩凝り。右足裏はアワイチ、熊野古道と経てかなり悪化しており、親指の下の皮が早々に剝けて痛い。そして何よりも強烈な眠気が襲ってくる。そのまま残り5周はゴールまでのひたすら苦難の旅となった。

ゴールタイムは6時間17分45秒。目標タイムとはほど遠い結果となりました。こんなにヘロヘロの走りになったのは久しぶり…

数年前と比べて参加人数がかなり増えたためコースは走りづらくエイドも常に混雑していましたが、至れり尽くせりの大会雰囲気はしっかり残っていました。またいつか修行のために出たいと思います。